信仰生活は副業ではありません。本業の中の本業です。人に会っても「私」が会うその人に今、御言を伝えなければ、その人が帰る途中でどうなるか分からないです。その人がほかの人でなく、自分の父母や兄や姉だと考えなければなりません。機会を逃したときは「み言を伝えなければならないのに、私が忙しくて申し訳ない。いつかもう一度会いましょう」と挨拶だけでもして、条件を残していかなければならないのです
天聖経8・2・6・4
所長視点)
伝道というのは「み言を教える」のではなく、信仰生活をするなかで、またみ言を受けて自分自身が感じたことを「分かち合う」ものです。その積み重ねが信頼関係を築き、私の言葉を通じて神様がその人を伝道してくれるのです。そう考えると私の生き方が一番重要になってきます
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