2020年4月16日木曜日

2020/4/16 心の習慣性

神様が私たちの心の中心ならば、その神様が望む目標と、私たちの心が望む目標とが一致しなければなりません。また、心と体が一つになるために、体はこの地の理想的な基準と一致しなければならず、心は神様が目標とする方向と一致しなければなりません。歴史的な最後の終末時代、善の理念世界は必ず訪れるものなので、「私」の体が生活において善の理念世界と接する関係をもっていなければなりません。心の基準が神様の基準と別れるとき、苦衷が生じるようになり、体の生活基準が世界的な理念と相反するとき、また苦衷が生じるのです。それでは、どこから是正するのでしょうか。それは相対圏ではなく、私自身にかかっています

天聖経8・2・4・13

所長視点)
本心が第二の神様なら、本心をわたしの感情がつながる必要があります。感情が外側の環境圏を刺激されても、本心を主体にして、感情と共鳴させていく習慣性をつけていくのが天国生活を目指すということになります。他人や環境に振り回されるときや、感情が暴走するときに静かに正対し、本心をつかむ。そのような生活を習慣化していけたらとき、心の幸せが訪れます

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