2020年4月17日金曜日

2020/4/17 信仰という条件

天は歴史的に何を通して人間を訪ねてくださったかというと、信仰という条件を持って訪ねてくださいました。天は人間をして、この信仰の条件を立てさせる一方、人間に対して実践を求めました。天と「私」が関係を結び、悲しみの心情を除去することのできる一つの足場を立てるためには、信仰を中心として一つの実践的な行路が生じなければなりません。そうしてこそ、歴史的な関係を立てることができるのです

天聖経8・2・4・15

所長視点)
私たちが信仰を立てるということは、「信じる」というより「自分で決める」といった方がわかりやすかも知れません。神様を信仰する、ということは「神様を信じる」というより「神様がいると決める」「神様は私を愛していると決める」こと。信仰していても「信じられない」ことが起こると信仰がブレます。信じれなくなったから信仰しません、となりやすいしそこを無理矢理信じようとする。「神様がいると決める」は生き方のスタイルであり約束です。人がなんと言おうと信じられないことが起こっても、約束は約束です。自分が守れないことがあったら、もう一度、約束すればいいのです

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