2020年4月14日火曜日

2020/4/14 分かってほしい

私たちには心があります。その心は、より大きな理念に向かって、寝ても覚めても時間と空間を越えて、「私」をある方向に押し出そうとしています。しかし、このような動きが連続する歴史とともに動いていこうとする事実を感じながらも、そのような面を持っている自らを解明できずにいます。皆さんは、自分を分かってほしい、自分を信じてほしいと言いたいでしょう。そして、私が考え、私が主張するすべてのことが、そのある動きと関係を結ぶことを願いながら今まで生きてきたという事実も、否定できないでしょう。それでは、私を信じ、私を分かってほしいと求めるとき、自らを確定して、天倫の大きな目的と関係を結んだ立場に自らを立ててから、そのような要求をしたかというと、そうではありません。
天は天倫の目的を成し遂げようとされますが、自らがそのようにすることができなければ、天のみ前に堂々と立つことはできません。天倫の前に頭を上げることはできないというのです。

天聖経8・2・4・9

所長視点)
公的に生きてたとき、それが否定される出来事が起こると「分かってくれない」「どうせ‥」という思いになります。そういうときにもう一度、
自らを確定する=自分は神様も子女である
天倫の大きな目的(創造目的)と関係を結んだ立場に自らを立てる=より大きなみ旨を主体に立てて、対象になっている
を確認する必要がある。どこかに、自分を主張する心がある、それは否定した人の行動をみれば分かるようになってます

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