2020年4月18日土曜日

2020/4/18 光あれ

私たちは、外的に伸びていくよりも、精神を統一して内的に深く追求していく道を模索しなければなりません。これが今日、キリスト教でいう「祈りの生活」です。皆さんが目的を立てておき、それを成就させようとする祈りよりも、神様の考えに接して、神様が語りたいと思われるみ言を体恤し、それを実践するという祈りが、より貴重なのです。ですから、祈りを捧げるために、静かなところを訪ねていくのです。
そのような祈りの生活をすれば、形容できない喜びが訪れます。その境地が創世前の神様の心の境地です。皆さんがそのような境地で、「こうだ」という内容もって説明できる立場に立つとすれば、その立場は、正に神様が天地万物を創造された立場だというのです。神様がみ言で被造物を創造された立場です。そのような境地で御言を宣布しなければなりません。そうすれば、人々も必ずそのような御言に触れようとするのです

天聖経8・2・4・21

所長視点)
自分の心と向き合い、一番根っこにいる神様との会話が祈りです。それは自分の心を天国に開拓していく作業です。自分の心に喜びが訪れ、その心の世界がいまの現実を創り出していきます。それは正に天地創造において「光あれ」といわれ、光を創造した。それをみて喜んだ神様と同じ境地になります。そのような生活をしていれば人が寄ってくる=伝道できるようになります。このような伝道を開拓しているのがMCです~

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