2020年4月30日木曜日

2020/4/30 伝道しよう

信仰生活は副業ではありません。本業の中の本業です。人に会っても「私」が会うその人に今、御言を伝えなければ、その人が帰る途中でどうなるか分からないです。その人がほかの人でなく、自分の父母や兄や姉だと考えなければなりません。機会を逃したときは「み言を伝えなければならないのに、私が忙しくて申し訳ない。いつかもう一度会いましょう」と挨拶だけでもして、条件を残していかなければならないのです

天聖経8・2・6・4


所長視点)
伝道というのは「み言を教える」のではなく、信仰生活をするなかで、またみ言を受けて自分自身が感じたことを「分かち合う」ものです。その積み重ねが信頼関係を築き、私の言葉を通じて神様がその人を伝道してくれるのです。そう考えると私の生き方が一番重要になってきます


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2020年4月29日水曜日

2020/4/29 天の父母様教団

宗教を中心とした既存の価値体系は、なぜ崩壊していったのですか。それは、宗教自体が本来の任務を忘れたまま分裂と紛争がやむ間がなく、それで現実に対する指導力を喪失したからです。既存の宗教は、神様と人生と宇宙について明確に教えられなかった結果、善と悪、義と不義の区別をはっきりさせることができませんでした。特に神様の存在の有無に対する質問に、明快な答えを与えることができませんでした。宗教が無力化すると同時に、物質は、人間の前に手段ではなく目的と化し、享楽にふけるのが当然のこととなり、人間性は肉欲と物欲によって麻痺し動物化したので、このような土壌の上に真の愛と奉仕、そして義や神聖さなどの既存の価値観は存在し続けることができないというのです

天聖経8・2・5・14

所長視点)
お母様が「天の父母様教団(Heavenly Parent Church)」を宣布された目的は、すべてを一つにする中心は「天の父母様」であり、既存の宗教、思想において足りないものを明確に示し、補い、飛躍するために宣布されたのだと感じます。家庭連合も同じです。神様と人生と宇宙について明確に教えられているのか?自分自身が伝えることができるのか?自分で伝えるより、教会の連れてくる、映像をみさせることを優先して伝えることを放棄しているとすれば、現実に対する指導力は失われていきます。
国家復帰をするほどの指導力をもつためには、一人一人が発信する。発信の質をあげる、発信する対象を増やすことがポイントです。そのために与えられた天の賜物がSNS環境です。
MCは皆様の発信力UPにも寄り添い、サポートします。

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2020年4月28日火曜日

2020/4/28 善の人

どの宗教を見ても、その宗教内には苦行しない人がいません。そのような宗教であるほど、高次的な宗教です。この世を完全に否定した立場から出発してこそ、完成されます。真の宗教は、全体を否定しながら進んでいくようになります。世の中が考えることとは違うというのです。真の宗教は、世の中のことを肯定するところから出発するのでなく、否定するところから出発します。否定のどん底から肯定の要件を形成させて、自己主管圏を立てていかなければなりません。ここにおいて、心を中心として再創造されたという価値をもつ存在になる時には、善の人になるのです

天聖経8・2・5・10

所長視点)
信仰生活は犠牲の道ですが、犠牲の道で終わるのではなく、その中から肯定できる自分をみつけて 、心の中に天国を創っていくのがいまの時代です

2020年4月27日月曜日

2020/4/27 欲望を治める

私たちは24時間を治めなければなりません。時間を治めなければなりません。愛は時間圏を治める立場に立たたなければならないのです。その次には、行動を治めなければなりません。愛は、行動を治める以上の立場に立たたなければなりません。時間を治めなさいというのは、睡眠を治めることです。行動を治めなさいというのは、御飯を食べることなど、あらゆる欲を治めることです。そして情欲を治めなければなりません。愛は、その上にあります。その次には、物欲を治めなければなりません

天聖経8・2・5・9

所長視点)
『治める』というのは、自粛する、我慢するということではなく、より大きな目的のために価値を発揮させる=主管する、ということです。情欲を治めるということは、真の夫婦になるために、相手を高める立場で情欲の方向性を定めていく、ということになります。睡眠を主管するのは睡眠する時間を定める、起きる時間、寝る時間を予定する、睡眠時間の質を上げてより身体と脳をリセットする、そして次の日にみ旨のためにパフォーマンスをフルに発揮できるようにもっていくことを『治める=主管する』といいます。
ご父母様の勝利圏が安着される前は、サタンの働きにより、創造本然の『治める=主管する』が私たちには出来なかったので『分別する。欲望と立つために身体を打つ』しかありませんでした。がいまの時代は創造本然に主管を開拓し、体恤していくときです

2020年4月26日日曜日

2020/4/26 御言の核心

愛は唯一のものです。一つしかありません。唯一のものであり、絶対的なものです。そのような愛を願うので、妻に接するとき、絶対『性』をもって接しなければなりません。妻に出会うことによって、天国が私を訪ねてくるようになります。そのようになっています。男性がいくら苦労しても、愛の道を訪ねていき、愛の正道に従わなければ、天国に行くことはできません。そのような天国を『私』に紹介するために訪ねてきた方が、妻という人であり、夫という人です。その二人が仲たがいする日には、天国が壊れていきます。私たちの人生の本然の理想と夢にひびが入っていくのです

天聖経8・2・5・6

所長視点)
ちょっと過激な言い方をすれば、絶対性というのは、結婚する相手に『私の生殖器は一生涯あなたのものです』と神様の前に誓うことです。その日を迎えるまで、捧げるべき大切なものは人に見せず、大切に管理しておく必要があります。それが純潔であり体の修練でもあります。絶対性の生き方から天国が出発し、世界平和が出発します。絶対性が御言の核心中の核心です

2020年4月25日土曜日

2020/4/25  堕落しなかったときの良心基準

サタンは死亡の障壁を立てています。その下に敷かれているのが私たちの体です。神様のみ前に恩讐となったサタンは、本来、天使長です。神様が主体であれば、天使は霊的な対象です。心は天を象徴し、体はその対象を象徴するので、サタンは人間の体を足場として活動しているのです。それで、どの宗教も体を打つのです。どこかの国家や何かの主義を征服するのではなく、体を征服するのが宗教の目的です。そして、本然の良心基準に立って行こうとするのです。体が求めるあらゆる条件を無視して心の門を開き、アダムとエバが堕落せずに上がっていかなければならなかった良心基準に到達するようになるときに、初めてら平和が始まるのです

天聖経 8・2・5・2

所長視点)
心の門を開き、本心を育むその刺激は、男女が愛し合う刺激を超えていきます。その基準から本当の平和な世界が始まります。
いまの新型コロナウィルスによる様々な事情に振り回されたとしても、それ以上の心の復活が、アダムとエバが堕落せずに上がっていったときの良心基準ではないかと感じます

2020年4月24日金曜日

2020/4/24 公的な祈り




自分の思いを中心として祈ってみなさいというのです。いくら夜を明かして祈っても、神様とは関係がありません。一生を否定し、一生をつかみ、その一生のために行かなければなりません。例えば、家庭を否定し、国を抱きなさいというのです。より大きなもののために生きること、それが公的です。そしてこそ残るのです。自分の欲望を中心として、家庭を中心としていくこと、それはあとのことです。より大きな目的を中心として行かなければならないのです。


天聖経8・2・4・35


所長視点)

より公的な動機をもつためには、より公的な事情、国のために生きるなら国の抱えている事情をすべて自分のこととして受け入れていく。そうするなかで湧いてくる思いが国のために祈る動機となります。



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2020年4月23日木曜日

2020/4/23 環境を主管する

私たちが行くべき道は、いずれにしろ突破していくべき道であることを考えれば考えるほど、これは私たちの力だけでは不可能です。ですから、信仰者は祈りを捧げなければなりません。個人として神様の御旨と一致する伝統を受け継ぐ道を見出せなくなる時は、彼がいくら努力をし、いくら忠誠を尽くしながら行くといっても、その結果は、必ず神様のみ旨に背く立場に帰結するようになります。そのような観点から、現在の「私」の位置はどれほど重要かということを知らなければなりません

天聖経8・2・4・33

所長視点)
成長は変化であり、自分の責任分担です。環境の変化についていくのではなく、環境の変化以上の成長をしていくことが「環境を主管する」ということになります。環境の変化、時代の変化が著しいときは、自分の成長を促されているように感じます。成長を阻害する要因は「自分の位置」を疑うこと。損得勘定で判断すること。そういう自分に気づけば一気に飛躍します

2020年4月22日水曜日

2020/4/22 自分の言葉は本心につながってますか?

皆さんは、自らの心を通して祈れる人にならなければなりません。皆さんが体を通して表す言葉や行動が、皆さんの心の中心と連結される時、その言葉や行動は、神様とサタン、またはどんな人の前でも恥ずかしくなく、堂々としているでしょう。神様は、正にこのような存在を求めていらっしゃるのです

天聖経4・2・4・29

所長視点)
祈りの言葉が、頭で考えたり、習慣性で祈ったりしているとしたら「自らの心」「心の中心」=本心とつながらず祈っているかもしれません。逆に自分の言葉や行動が、ありのままの、本当の自分から出発したものであれば、祈っている自覚がなくても最高の祈りになります。そのくらい「本心につながる」ということが人格を成長させ、神様を中心とした生活をするうえで外せないものとなります。

2020年4月20日月曜日

2020/4/20 背後の生活

祈りは、ご飯を食べることより重要です。ですから、先生も自然を好み、一人で過ごす時間は心が満たされます。静かな夜が本当に好きです。生活の豊かな底辺基盤を築くことができるのは、祈り以外に道がありません。その世界、その場で愛を感じ、愛を体験できるのであって、普通のところでは難しいのです。そのような基盤の上で、自分自体が力を補強できる立場に立ってこそ、皆さんの信仰の道を皆さん自身が行けるのであって、いつもこのように先生が導いてあげていては、先生がいないときはどうするのですか。そのような背後の生活を備えるためには、祈りが必要です。夜も昼も全体のために祈ってこそ、それが生きた祈りになります。そうしてこそ、何年かごとに、自分が願う祈りが変わり、題目が変化するとともに発展するのです。ですから、今の時がどんな時なのかを知らなければなりません。そのような背後の生活を、皆さんは、祈りの生活を通して備えなければならないのです

天聖経8・2・4・25

所長視点)
「背後の生活を祈りを通じて備える」 とは、自分の本心と正対する→自分の堕落性を受け入れていく→心が解放されていく→本当の自分がどういう生活を1日、1週間を過ごしたいかを具体的に開拓していく。イメージしていく(内的創造)。そのイメージ世界に愛を感じ愛の体験を感じる。これを背後の生活(内的世界)を祈りで備える(創造する)といいます。そのような祈りで出発した1日が、イメージした通りの1日になっていく。そこに実体的刺激を感じる。これが心と体を一つにするというイメージになります。

2020年4月18日土曜日

2020/4/19 信仰の根っこ

深く根を張った祈りの生活を、たくさんしなければなりません。み旨に徹した生活をしなさいというのです。そして、神様が行かれる道と教会が行く道に、自分がどれほど呼吸を合わせて生きるかを、常に考えなければなりません。そうしようとすれば「教会の便りが気になって死にそうだ」と言いながら、直接、訪ねていかなければ、「電話してでも知りたい」と思う気持ちがなければなりません。そのような心を前面に立てて暮らす家庭なら、神様が共にいない道理はありません。そのような根もないのに植えておけば死んでしまうので、植えないことより良くないというのです。皆さんは、このような原則を知り、生活を再整備して、そのような基盤を築き上げなければなりません

天聖経8・2・4・24

所長視点)
祈りが信仰の根っこになるので、祈りを深めていけばいくほど自立し、神様が共にいる家庭生活が定着していきます。祈りも開拓です。祈りの対象は天の父母様です。天の父母様は私の本心におられます。深い自分自身を開拓するのが祈りであり、その先に天の父母様がいらしゃいます。お空にいて見守っているのではありません

2020/4/18 光あれ

私たちは、外的に伸びていくよりも、精神を統一して内的に深く追求していく道を模索しなければなりません。これが今日、キリスト教でいう「祈りの生活」です。皆さんが目的を立てておき、それを成就させようとする祈りよりも、神様の考えに接して、神様が語りたいと思われるみ言を体恤し、それを実践するという祈りが、より貴重なのです。ですから、祈りを捧げるために、静かなところを訪ねていくのです。
そのような祈りの生活をすれば、形容できない喜びが訪れます。その境地が創世前の神様の心の境地です。皆さんがそのような境地で、「こうだ」という内容もって説明できる立場に立つとすれば、その立場は、正に神様が天地万物を創造された立場だというのです。神様がみ言で被造物を創造された立場です。そのような境地で御言を宣布しなければなりません。そうすれば、人々も必ずそのような御言に触れようとするのです

天聖経8・2・4・21

所長視点)
自分の心と向き合い、一番根っこにいる神様との会話が祈りです。それは自分の心を天国に開拓していく作業です。自分の心に喜びが訪れ、その心の世界がいまの現実を創り出していきます。それは正に天地創造において「光あれ」といわれ、光を創造した。それをみて喜んだ神様と同じ境地になります。そのような生活をしていれば人が寄ってくる=伝道できるようになります。このような伝道を開拓しているのがMCです~

2020年4月17日金曜日

2020/4/17 信仰という条件

天は歴史的に何を通して人間を訪ねてくださったかというと、信仰という条件を持って訪ねてくださいました。天は人間をして、この信仰の条件を立てさせる一方、人間に対して実践を求めました。天と「私」が関係を結び、悲しみの心情を除去することのできる一つの足場を立てるためには、信仰を中心として一つの実践的な行路が生じなければなりません。そうしてこそ、歴史的な関係を立てることができるのです

天聖経8・2・4・15

所長視点)
私たちが信仰を立てるということは、「信じる」というより「自分で決める」といった方がわかりやすかも知れません。神様を信仰する、ということは「神様を信じる」というより「神様がいると決める」「神様は私を愛していると決める」こと。信仰していても「信じられない」ことが起こると信仰がブレます。信じれなくなったから信仰しません、となりやすいしそこを無理矢理信じようとする。「神様がいると決める」は生き方のスタイルであり約束です。人がなんと言おうと信じられないことが起こっても、約束は約束です。自分が守れないことがあったら、もう一度、約束すればいいのです

2020年4月16日木曜日

2020/4/16 心の習慣性

神様が私たちの心の中心ならば、その神様が望む目標と、私たちの心が望む目標とが一致しなければなりません。また、心と体が一つになるために、体はこの地の理想的な基準と一致しなければならず、心は神様が目標とする方向と一致しなければなりません。歴史的な最後の終末時代、善の理念世界は必ず訪れるものなので、「私」の体が生活において善の理念世界と接する関係をもっていなければなりません。心の基準が神様の基準と別れるとき、苦衷が生じるようになり、体の生活基準が世界的な理念と相反するとき、また苦衷が生じるのです。それでは、どこから是正するのでしょうか。それは相対圏ではなく、私自身にかかっています

天聖経8・2・4・13

所長視点)
本心が第二の神様なら、本心をわたしの感情がつながる必要があります。感情が外側の環境圏を刺激されても、本心を主体にして、感情と共鳴させていく習慣性をつけていくのが天国生活を目指すということになります。他人や環境に振り回されるときや、感情が暴走するときに静かに正対し、本心をつかむ。そのような生活を習慣化していけたらとき、心の幸せが訪れます

2020年4月15日水曜日

2020/4/15 天を主体にする

天は生命の主体であり、理念の主体であり、愛の主体であって、私たちの心と体の主体です。ですから、私が天と接触する瞬間には、私の体は自分の体ではありません。私の心は自分の心ではなく、私の心情は自分の心情ではないのです。私の理念は自分の理念ではありません。その時こそ、神様を身代わりした体になるので、万物の主人公になるのです。その時に、私の心が神様と同じ心になるので、私の心は神様を身代わりすることができるのです。その時に初めて私の生命は、万宇宙を動かせる生命の権限を持つのです。私の心情は、神様の心情を身代わりして現れることができ、私の理念であり、父の理念だというのです。それでこそ、私たちの心的な願いのすべての目的が集結するのです

天聖経8・2・4・10

所長視点)
天の父母様を私の心の主体にすれば、すべてが解決していく方向に向かいます。天の父母様を主体にした状況は、行動に優先順位が天の父母様が優先される状況です。1週間の出発の日に礼拝を捧げること、1日の出発の朝に、祈祷し訓読して出発すること、十一条件、月例献金を捧げること、食事の前に祈祷することなど、最初の時間を天の父母様から出発させることが、天の父母様を主体にした生活に習慣づけられていきます。その主体、対象の位置関係が定まると情関係が結ばれていきます

2020年4月14日火曜日

2020/4/14 分かってほしい

私たちには心があります。その心は、より大きな理念に向かって、寝ても覚めても時間と空間を越えて、「私」をある方向に押し出そうとしています。しかし、このような動きが連続する歴史とともに動いていこうとする事実を感じながらも、そのような面を持っている自らを解明できずにいます。皆さんは、自分を分かってほしい、自分を信じてほしいと言いたいでしょう。そして、私が考え、私が主張するすべてのことが、そのある動きと関係を結ぶことを願いながら今まで生きてきたという事実も、否定できないでしょう。それでは、私を信じ、私を分かってほしいと求めるとき、自らを確定して、天倫の大きな目的と関係を結んだ立場に自らを立ててから、そのような要求をしたかというと、そうではありません。
天は天倫の目的を成し遂げようとされますが、自らがそのようにすることができなければ、天のみ前に堂々と立つことはできません。天倫の前に頭を上げることはできないというのです。

天聖経8・2・4・9

所長視点)
公的に生きてたとき、それが否定される出来事が起こると「分かってくれない」「どうせ‥」という思いになります。そういうときにもう一度、
自らを確定する=自分は神様も子女である
天倫の大きな目的(創造目的)と関係を結んだ立場に自らを立てる=より大きなみ旨を主体に立てて、対象になっている
を確認する必要がある。どこかに、自分を主張する心がある、それは否定した人の行動をみれば分かるようになってます

2020年4月13日月曜日

2020/4/13 天倫の心情

今まで人間は、何を求めて苦労してきましたか。人倫の心の代わりとなる天倫の心情を求めて、その心情と私たちの心が一つになるようにと、今まで骨を折ってきました。一つになったその心は、絶対的な心と関係を結んだので、その心は誰が切り取ろうとしても切り取ることはできません。ですから、そのようにどんな理念と、どんな主義主張をもってしても、消して侵すことができない心を、私たちは、今まで求めているのです。ですから、もしこれを探し出せないとすれば、決して悲しみと悲哀を免れることはできません。

天聖経8・2・4・7

所長視点)
天倫を探し出し、絶対的な関係を結んで歩んできた方が真の父母様です。その歩みを著したのが自叙伝になります。自叙伝を読むとき相対する箇所、部分が自分の中にあるときが、自分の中の天倫の心情を見つけた瞬間になります。
ご父母様の歩みを知って感動するだけではもったいない。自分自身の悲しみと悲哀の人生を整理するために自叙伝を訓読し、自分の中の天倫の心情を発見し、天の父母様と永遠の関係を結んでください

2020年4月12日日曜日

2020/4/12 寄り添いの涙

神様の悲しみを蕩減してさしあげなければなりません。神様が「私」のために涙を流した代わりに、私たちは兄弟のために、国家のために涙を流し、世界のために涙を流そうというのです。このような責任を遂行する群れが世の中には現れるようになれば、その群れは滅びません。その子孫は、間違いなく発展するでしょう。皆さんの当代には、もちろん悲惨な、歴史的な何かがあるかもしれませんが、今、終わりの日が来たので、当代に二つの世界を侵犯し、一つの世界を建国できる時代が来ることを知り、その時こそ歴史的な時であり、神様のみ前に孝子になることができ、忠臣になることができる時であることを知り、神様を慰める皆さんにならなければなりません

天聖経8・2・3・16

所長視点)
み旨のために流した涙が最高の蕩減条件になります。それは悲しい人の心に寄り添えば、涙がでます。自分のこだわっていた心に寄り添っても涙がでます。これが解放の涙です。その涙が神様が共にいることができる証しになります。神様が共にいれば、和合、統一、すべての難しかったものが一つになっていきます。いい時代が来ましたー

2020年4月11日土曜日

2020/4/11 神様が立ち上がるとき

皆さんが恩恵に満ちて、命懸けで立ち上がれば、神様が代わりにマイクを持って立ち上がるというのです。天使世界も同じです。先生もそうです。ですから、この御言に夢中になって、ご飯を食べるのも忘れ、寝るのも忘れ、生活するのを忘れるほど高揚すれば、皆さんは、誰でも先生がしていたことを身代わりすることができます。この作用が偉大なのです
天聖経8・2・3・11

所長視点)
私たちの責任分担は、御言によって高揚し恩恵に満ちた訓読会をすること。礼拝を捧げること。そしてどんな環境であってもどんなに非難されるような立場にたっても、神様と私、父母様と私の関係性を偽らない。今日一日、真の父母様を誇り愛していく人生を歩むと決める。そうしたら神様も絶対善霊も天使も総動員されて私を支えてくれる。そんな生活を実感する日を重ねていくのが、いまの時代圏だと感じました。
とても恩恵を受けた御言でした

2020年4月10日金曜日

2020/4/10 御言の実体

父母様が残しておいた御言をたどる後世になってこそ、その万国の万人全体が永遠の天上に近い道に接近していくというのです。先祖を尊重し、先祖が残した遺物と、先祖が訓示として残した御言を、世の中で自分が生きることをよりも、表象的でない実象的な主体として、暗い世界の灯台のように見つめてこそ、暗い海の暗礁が幾重にも囲んだ世界を分別していくことができ、自ら解放の道を行くことができます。その灯台を見て、自分の方向を尋ね求めていく道しかありません。その灯台になれる話を先生がするのです。今まで天地を中心として、先生の御言以上の御言を語った人はいませんでした。ですから、この上なく高い心情の世界から芽生えて出てくる、天上の御言として受け入れることができなければならないのです

天聖経8・2・3・8

所長視点)
先がみえない今だからこそ、御言を私の心の灯台として灯すことが必要です。御言を信じる時代ではなく、御言と自分の心を共鳴させていく、その心で生活することが「御言の実体になる」ことです。そのように生活している人に真の愛が溢れていくようになっています。それが社会に国に世界に拡散していきます。そのようにして神様の中心とする世界を創っていくのです

2020年4月9日木曜日

2020/4/9 御言に従って生きる

先生が神様の御言で生きたので、皆さんも神様の御言で生きなければなりません。皆さんは、先生より何倍も熟達できるように、御言を読んで、また覚えて行わなければなりません。そうしながら「私はこのような道を行かなければならない。父母様が願うことがこのような道なので、このように行かなければならない」と考えなければなりません。そのようにすれば、皆さんがある村に入っていたとき、その村の先祖たちまで来て自分に侍ってくれ「歓喜の同参者になりたい」と思うというのです

天聖経8・2・3・7

所長視点)
御言に従って生きる、ということは、まず御言を読む 、そしてそれをどう生活で実践するかを具体的に考える、実践してみる、実践してみて自分がどう感じたかを自覚する(出来た、出来ないでとらえない)、深く感謝する。これの繰り返しになります。実践は具体的であればあるほどよいです。実践が「愛する、やさしく接する」だけだと、どう行動するのかが曖昧になりやすいです。「ありがとうという」とか「声をかける」とか行動ベースに落とし込むところまで決めておくと、より御言に従って生きるのに近づいていきます

2020年4月8日水曜日

2020/4/8 国境線の放棄

真の愛で恩讐のために行ってあげれば、恩讐の世界を治めることができるようになり、その恩讐の世界がむしろ皆さんを尊敬し、侍るようになるのです。皆さんの子女や父母よりも、周辺のすべての人のために生きてあげ、これ以上ない真の愛を施せば、サタンは自動的に逃げていくようになり、代わりに神様がその場に訪ねて来られて、千倍、万倍を返してくださるのです。
サタンをして逃亡せざるを得なくさせる秘法とは何でしょうか。真の愛でために生き、ために死に、ために愛そうとする真の人の前では、いくら悪辣なサタンでも、国境線を放棄して逃げていかざるを得なくなるのです。逃亡するとしても、国境線を壊してから行くようになっているのであって、そのまま行くことはできないのです。そのようになれば、どんなことが起こるでしょうか。悪魔、サタンが離れていくことによって、地獄の死亡圏に直行していた無数の生命が、180°旋回して天の国に上昇できる永生の道理が広がるのです。このように永生の祝福が下されるのです

天聖経8・2・3・6

所長視点)
受け入れられないことを、全て自分の写し鏡であると深く受け入れていくことが恩讐に真の愛を照らすことになります。そうすると国境線がなくなり、恩讐と思っていたことや人が私たちの最高の友人となり、神様の世界が広がるようになる、これが神氏族メシヤの道です

2020年4月6日月曜日

2020/4/6 ための生きると決める

川の水は、海に向かいます。地上は川の水と同じであり、霊界は海水と同じです。人間は誰でも霊界に行くようになりますが、淡水魚は海水では死んでしまいます。突然入れば、窒息するのです。ですから、慣れなければなりません。家庭連合は、その世界の内容を地上で訓練する所です。真の愛、ために生きる愛の活用訓練をさせる修練所が家庭連合です。ために生きる愛の実体を形成するための修練所です。神様がために生きる愛で生きているので、ために生きる愛をもった場合、どこに行っても歓迎されます。どこに行っても反発がないのです

天聖経8・2・3・2


所長視点)
心の世界が霊界であるならば、心を大切にすることがよりクローズアップされている、いまの時代はより霊界に近い世界になってきたのかもしれません。「ために生きれば幸せになるのですか?」は幸せになるための方法として「ために生きる」なので、「ために生きる」が方法論です。まずは「ために生きる」を人生にする。不幸を感じようが、理解されないことがあろうが、「ために生きる」と決める。「なぜために生きるのか」それは「ために生きると決めたから」これを習慣化したいものです

2020年4月5日日曜日

2020/4/5 習慣化する

ヨハネによる福音書第三章一六節に「神はその独り子を賜ったほどにこの世を愛してくださった」とあります。アメリカを愛し、教派を愛してひとり子を賜ったのではありません。世界のために賜ったのです。それで、先生は、はっきりと教えるのです。家庭連合は世界のために存在し、神様のために存在するのであって、先生のために存在するのではありません。ですから、先生は滅びません。家庭連合は滅びません。神様が保護するからです。
すべての完成は真の愛から始まります。全世界が真の愛を中心として、このような公式を適用して訓練しなければなりません。そのようにしなければ生きていけないというほど、習慣化しなければなりません。世界のどこに行っても、そのように生きなければならないのです。年老いた人を見れば、自分の祖父と祖母のように、父と母の年齢なら自分の父と母のように、自分の相対の年齢なら自分の妻や夫のように、息子、娘の年齢なら自分の子女のように、自分の年齢なら兄弟のように愛さなければなりません。それが習慣化しなければなりません。楽しくなければならないのです

天聖経8・2・3・1

所長視点)
愛の訓練は「無理矢理愛していく」のではなく「習慣化していく」ことです。それは楽しいことです。習慣化していくことは自分の心を育んでいくことでもあり、自分の心を育むことは世界のどんなことよりも「楽しい」ことです。心を育くめば創造性は発揮され、万物を愛で治める主管性が賦与されます。

2020年4月4日土曜日

2020/4/4 犠牲と譲歩

どこで統一を探すのでしょうか。統一は、犠牲になるところ、譲歩するところにあります。そのようにすれば、どこに行っても、3年もせずに一つになるのです。3年を越えて和合投入し、犠牲になって投入すれば、新しい主人が行ったり来たりしながら一つになります。世の中が、大宇宙の真の愛の空気でいっぱいになるというのです。ですから解放圏です

天聖経8・2・2・24

所長視点)

犠牲と譲歩を常にしている…という方は、そこからが勝負になります。そこから「私はこれだけやっているのだから、これはあなたがするべき…」という思いのなかの「~すべき」は固定観念であり堕落性に気づく。これはWINWINの思想であり、この思いの裏には「損得」があります。その思いを否定したり、自虐的になるのではなく、「~すべき」自分ああることを自覚する。そこに真の愛が流れてきます