2020年5月2日土曜日

2020/5/2 自叙伝と私

アベルは復帰路程において何よりも重要な使命を果たさなければなりません。アベルという存在がみ旨の前に設定されたのは、堕落のゆえです。もし堕落がなかったならば、アベルという存在がみ旨の前に設定される必要がありません。アベルが一人でいては、アベルを設定できません。カインがいなければアベルになれないのです。またアベルが真のアベルとして設定される位置に立つまでには、準備期間が必要です。言い換えれば、天の側に立つか、立てないかという期間が必要なのです。「統一原理」では、それを「信仰基台を立てる期間」と言いますが、その期間は祭物を捧げる期間です。祭物を捧げるのは、分かれた神様と人間を、再び心情的に紐帯を結ばせ、外的にも紐帯を結ばせるためなのです

天聖経9・3・6・3

所長視点)
神様の願いは「勝利したアベルになってほしい」この一点です。勝利したアベルの道をいかれたのが真の父母です。私たちは、自叙伝もそのような視点で読むことが必要だと感じます。そうでないとご父母様の素晴らしさは伝わってきても、真の父母様の歩みがすごいほど「自分にはできない」となります。そのまま歩めといわれているわけではなく、自分が神様の願いに立ったときに、行くべき方向、いろいろな悩みを抱えたときの道を拓くための歩みが自叙伝に顕されています。そして私たちが今までアベル立場ゆえ苦労してきた歩みとご父母様の歩みが共鳴して涙ができるのです




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