2020年5月31日日曜日

2020/5/31 御父母様の路程を学ぶ意味

先生は蕩減路程を歩むのは、個人のために歩むのではなく、全世界の男性を代表した立場で歩むのです。その次に、全世界の家庭を代表した、妻に対する夫の立場で歩むのです。全世界を代表した父母の立場で歩みます。それで、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界を代表し霊界まで代表します。そうして、愛を中心として神様が解放の旗を揚げる時まで行こうというのです。
ですから、決定的な勝利としてこれを縮小させ、これから統一教会に従う人たちが先生のように悲惨にならないようにするのです。それが神様の願いです。先生を苦労させたのですが、その苦労を短縮させ、このような悲惨な運命を一時に一か所で、世界を代表して越えられるところがあれば、どれほど良いかというのです。それが神様の願いであり、先生の願いであり、皆さんの願いです。そのような願いの基準を生涯の目標、摂理の目的地として定めているのです。こうして現れたのが家庭教会です

天聖経9・1・2・9


所長視点)
御父母様の路程を学ぶ目的は、家庭教会を通じて地域を天一国化するためです。地域を天一国化して、天の父母様が思う存分共に生活できる環境を創るために、必要な智恵と方向性を御父母様の路程を通じて学び、実践する。その経験が御父母様と私の関係がさらに深まる要素になります

2020年5月30日土曜日

2020/5/30 サタンが活動できない所

天国はどこにあるのでしょうか。「心にあり、私にある」と結論を下さなければなりません。心の天国があったのちに、体の天国がなければなりません。体の天国があったのちにこそ、家庭教会、家庭の天国が成就されるのです。その天国は、サタンが讒訴できず、サタンが生きることもできません。サタンの活動が許されない所です。
「天国が私の心と体にある」と言える人にならなければ、環境天国も持てません。家庭教会は、環境を中心とした天国を意味します。家庭教会の基地はどういうものでしょうか。家庭教会の基地が、皆さんの天国として許されるのです。環境とは、家庭教会を中心として国と世界が連結されたものなのです

天聖経9・1・1・19


所長視点)
「心が天国になっているか」「天国が私の心と体にあるかどうか」を問うのではなく、「心に天国がある」「天国が私の心と体にある」という事実を受入れてください、ということです。そうではない、そう思えない理由はたくさんありますが、それを神様が聞きたいのではありません。神様が「天国があるよ」といっているのだから「いま知りました。探してみます」ということが重要です

2020年5月29日金曜日

2020/5/29 お父様が残してくれた宝

先生が統一教会に残してあげた宝があるとすれば、家庭教会です。家庭教会は、先生が一生の間、犠牲の道を歩んで残してあげた宝です。教会員に残してあげられる宝とは何でしょうか。統一教会の権限を天地から、サタンと神様から堂々と相続できるというのが宝です。
家庭教会が完成するときは、統一教会という名称がなくなります。家庭教会未完成圏には神様の摂理があるかもしれませんが、「私」自体で成し遂げられた家庭教会圏内には、神様の摂理や宗教はありません。そこは、天国人が住む所です。それでは360軒とは何でしょうか。それが全人類の理想型と同等になるためには、少なくとも12地域、12ヶ国の民族がそこに集結しなければなりません

天聖経9・1・1・14


所長視点)
ご父母様が歩んで来られた道を家庭教会を通じて相続していきます。家庭にお写真を掲げる、祭壇を築く、敬拝をする、訓読をする、書写をする、家族で集う、食事をする、祈りを捧げる…それが家庭教会の基盤です。そこで溢れた真の愛をどうおすそわけしていく。地域の困っていることに関心をもち、解決できる方法を一緒に考えサポートしていく…これが地域を天一国化していくということで、国家復帰の基盤になります

2020年5月27日水曜日

2020/5/27 希望の道

家庭教会がある所が天国です。歴史的責任を中心として、統一教会は勝利の道を築いてきました。現在、荒涼とした砂漠、地獄のような世の中に、このような道が現れたという事実を考えてみるとき、これは何という生命の道、光明の道、希望の道でしょうか。
この中で神様に出会うことができ、この中でメシヤに出会うことができ、この中で真の父母に出会うことができ、この中でカインアベルが一つになって出会うことができ、失われたすべての恩讐、失われたすべて氏族、失われた全人類を探し出せるのです

天聖経9・1・1・6


所長視点)
家庭教会を通じてすべての悩み、困難が整理されていく時代になりました。それは私たちが願っているような解決方法として現れないことがほとんどなので、不思議な感じですが、ご父母様がともにいて、神様が共にいて、絶対善霊が共にいるところが家庭教会なら、あとはわたしたちの心を開拓していくだけが残っています

2020年5月26日火曜日

2020/5/26 ご父母様が来られる所

先生は、統一教会の教会員に天国の鍵をあげるのです。先生は、死ぬために十字架に行くのでしょうか。死ぬために行くのではありません。希望をもって、より高いところに行くのです。イエス様は、行って帰ってくることができず、何千年の間、来ませんでしたが、先生は、行けばいつでも来ることができ、思いのままに行ったり来たりできるのです。
帰ってきてからは、統一教会を訪ねていくのではなく、家庭教会を訪ねて行かなければなりません。先生が訪ねるべき所は家庭教会ですが、家庭教会は神様が臨在できる所であり、父母様が臨在できるとこであり、息子、娘が暮らせる所、一族が暮らせる所です。家庭教会は、家庭のための社会的事務所です

天聖経9・1・1・3


所長視点)
イエス様は「また来る」と言われて2000年後に再臨されました。それまでは命懸けの信仰をもった人たちのところにかろうじて訪ねてくることしか出来ませんでした。いまはご父母様の勝利圏ゆえに、真の父母様のお写真(真尊影)を掲げている家庭に訪ねてくることが出来る時代圏です。そしてご父母様が語る言葉が、訓読会での御言であり、書写するときの御言です。御言を訓読するとき、書写するとき「ご父母様が私の家に来られて直接語られている」というアンテナを立てて訓読する、書写すればご父母様に直接侍る恩恵が受けられる時代です

2020年5月25日月曜日

2020/5/25 死と永生

「死」という単語は神聖な言葉です。悲しみと苦痛の代名詞ではありません。それで、真の父母様がその単語を「聖和」という言葉に換えて発表しました。地上界の人生を花咲かせ、実を結び、その実を抱いて歓喜と勝利の世界に入る時が霊界入門の瞬間です。喜ぶべき瞬間です。心ゆくまで祝賀し、送り出してあげるべき時です。悲しみの涙ではなく、喜びの涙を流してあげるべき時です。聖和礼式とは、このように神聖で崇高な天の儀式です。神様の懐に入って侍り、永生を楽しむために行く第一歩なのです。新婦が嫁いでいくその瞬間より、もっと胸躍らせて興奮すべき時です。このように貴い永生の門を開いてあげるために、私は、昨年2010年の3月18日、ニューヨークの国連本部で、最近永眠した世界的な平和指導者たちに聖和礼式を施してあげました

天聖経13・4・1・13


所長視点)
この「死」に対する価値観を受け入れるだけでも人生が変わります。死に対する価値観ゆえに多くの人が生き方が定まらないでいます。死と永生の価値観は家庭連合のブランドです。コロナアフターの世界の中心になる価値観でもあります

2020年5月24日日曜日

2020/5/24 心の母、父

祝福は、天地で最も貴いものです。同時に、極めて恐ろしいものです。もし夫婦が、互いに他の事を考えるとすれば、相手を蹂躙することです。皆さんから善の先祖、地、国が生じるのです。ですから、祝福を受けた人は、目を開けさえすれば、天地を考えなければなりません。祝福は人に福を分けてあげるためのものです。夫婦は、お互いに心の母、父にならなければなりません。世の中の人たちが「私たちもあなたたちの家庭のような家庭をつくりたい」と言うようにしなければならないのです

天聖経5・2・2・25


所長視点)
祝福の恩恵を感じ、深めていけばそこから真の愛の波動が拡散していきます。それがまわりに福を分けてあげることであり、あなたたちのような家庭をつくりたい、という思いになります

2020年5月23日土曜日

2020/5/23 心情主義

歴史を見れば、キリスト教を中心として物本主義と神本主義に分かれました。物本主義も崩れ、神本主義であるキリスト教文化圏も崩れて、世俗的な人本主義に降下しました。ですから、神様を中心とした主義がありません。唯物論者と人本主義者たちでは、世界が収集されません。主人は神様なので、その主人の立場から見てこそ収集ができるのです。ある思想をもった権威者がいるとしても、彼が世界を導いていくことはできません。右翼も左翼もできません。それで生まれてこなければならないのが「頭翼思想」なのです。「頭翼思想」は心情主義です。何の心情主義でしょうか。真の子女の心情、真の夫婦の心情です。神様を父母として侍り、その神様と血統的関係を結ぶ家庭環境でなければならないのです

天聖経10・2・4・17


所長視点)
主義というものは生活様式を意味します。どっちが正しい正しくない、の争いから主義を超える。右翼、左翼といった政治的思想もすべての宗教も唯物的な人も人間中心の良心的な人も、神様を中心とした心情でもって引き上げ連結する時代がコロナアフターの世界になります

2020年5月22日金曜日

2020/5/22 大きくなる

皆さんに「教会のために生きなさい」というのは、何のためでしょうか。より大きくさせるためです。家庭の大将になろうということでよいのですか。教会のために生きるのは、私がもっと大きくなるためであり、国のために生きるのも私がもっと大きくなるためであり、世界のために生きるのも私がもっと大きくなるためであり、天地のために生きるのも私がもっと大きくなるためです。どのくらい大きくなるためでしょうか。最高に大きくなるためです。ここで大きいというのは、体積をいうのではなくて、内外に最高の円満さと円熟さを備えることを言います。皆さんはそのような立場で家庭連合を中心として、世界水準の舞台で、万民と共に生きようという人にならなければなりません。そうしてこそ、天地を創造された神様の息子、娘になれるのです

天聖経10・2・4・8


所長視点)
ために生きることを通じて心が大きくなります。世界水準で活躍するには、いま世界で起こっていることを自分のこととして受け止めることから始めましょう。そして私の本心は何を感じるのか。そうしたらいくべき方向は定まります。定まらないとしたら、世界をまるごと受け入れる必要があります

2020年5月20日水曜日

2020/5・20 心を主体にする

自分の心と体を、どのようにして一つにするのでしょうか。世界に対する不平を言う前に、世界に対する真の平和を叫ぶ前に、世界に対する真の幸福を叫ぶ前に、皆さん自身を中心として、心と体が一つになって平和の基点を形成しているのか、平和の中心の基点が神様となっているのかが問題です。その基点は、心だけではいけません。神様を中心とした心に一致する体にならなければなりません。このようになったとすれば、神様に従う道が二つにはなり得ません。しかし、堕落することによって、今日、人は二つの道に行くようになりました。分かれるようになりました。そのような結果を見るとき、誤った原因が存在するという事実を否定できないのです

天聖経10・2・2・27


所長視点)
いまの社会や環境に対して意見しても現実は変わりません。自分の心の反映が現実だとすれば、その事実をまるごと受け入れるところから出発する必要があります。そうすることで心を主体にすることができます。

2020年5月19日火曜日

2020/5/19 心と体を一つにするための武器

真の愛なしには、心と体の世界を一つにすることができません。心と体が分立して争っている世界が、まさしく堕落した世界です。心が絶対的に中心でなければなりません。体は、絶対に不平を言うことはできないのです。体は常にマイナスの立場をとらなければならず、心は常にプラスの立場をとらなければなりません。プラスが前に立てば、それは永遠なのです。心の力を中心として、体はその位置に立たなければなりません。そのようにしなければ、この世界が平和な世界になったとしても、皆さんはその理想世界に連結されません

天聖経10・2・2・23


所長視点)
心が主体に立つためには、真の愛が必要です。では真の愛がどこにあるかというと自分の本心です。本心は第二の神様なので 真の愛をもっているのです。本心が分からなくなってしまったのが堕落です。本心をもっていることは自覚していても、自分の本心が神様で真の愛をもっていることを自覚している人は少ないです。本心のパワーが小さいと体の事情に負けて「堕落世界」にハマってしまいます。本心のパワーを強めるのが「御言」であり「書写」です。自分の感情と本心はつながっているので、自分の感情を大切することも有効です

2020年5月18日月曜日

2020/5/18 統一の基盤

統一の基盤の上においてのみ、平和があり、幸福があり、自由があり、希望があります。皆さんの心と体がひとつになっていないのに、そこに自由がありますか。会社に行ったとしても、心と体が世界大戦をしていて定着できていないのに、自由がありますか。自由という言葉自体も嫌うのです。心と体が闘っていて、そこに幸福がありますか。ですから、皆さんも人生問題について悩むのです。これが根本的に大きな問題です。心と体が一つになっていないところに、幸福があり、平和があるのかというのです

天聖経10・2・2・21


所長視点)
心と体が統一された状態は、心が主体、体が対象です。心が主体になるためには、心の中心である本心との関係性を強くする必要があります。第二の神様である本心との会話が祈り。本心が向かう方向を示してくれる「御言」を訓読して本心をつかむ生活をする。お金を献金することで自分の情を神様につなぐ。そのような生活基盤が重要になってきます

2020年5月17日日曜日

2020/5/17 天国の見張り台

神様の根拠地である本心は、天国の見張り台であり、サタンの根拠地である体は、地獄の見張り台になっています。この本心と体が国境線になっています。その国境線で銃声が聞こえてくるのです。それが皆さんの本心の声であり、本心と体が闘う声なのです。この戦争を除去するまでは、神様の息子になることができず、天の国にも行くことはできません。またそのような基盤をもたなければ、天国や理想世界というものが訪れることはあり得ないのです。

天聖経10・2・2・12


所長視点)
本心と体が闘っているという状態は、体が主体、本心が対象になってしまっている状態ということです。不安や恐怖ゆえに心が定まらず、事情や環境、人の行動や言葉に心が奪われながら生活している状態が「銃声が聞こえている状態」です。本心を主体にするには、本心に栄養をあたえる必要があります。それが書写であり、訓読であり、ありがとう です

2020年5月16日土曜日

2020/5/16 闘いの根拠地

心と体の闘いは、核戦争よりもっと恐ろしい戦争です。その戦争には休戦もありますが、ここには休戦もなく終戦もありません。私たちの人生がこの地上に存続し始めたその日から終わる時まで、私たちの心の底では休戦もなく、戦争が続けられているのです。このような人々が家庭を形成し、氏族を形成したので、一層闘うようになり、このような民族と民族が合わさったので、もっと闘うようになり、国家と国家が闘うようになりました。今までの人類歴史は、戦争につながった歴史でした。一日として戦争のやむ日はありませんでした。その闘いの根拠地は、心と体です。心と体が闘いの根拠地となって、個人、家庭、氏族、民族、国家がそのようになったのです

天聖経10・2・2・7


所長視点)
心と体の闘いは核戦争より、コロナウィルスよりも恐ろしいものです。闘いの中心テーマは「不安と恐怖からくる関係性の分断」です。関係性が分断されると堕落性が発動されます。思い込み、誇張が増幅され、すべてが自分にとって不利益のように感じていきます。そこから具体的な傷つけあうようなことも起こってきます。そこを越えていく道を拓いてくださった方がご父母様になります。素晴らしいですね

2020年5月15日金曜日

2020/5/15 心の自由

宗教は、個人の生死の問題を決定するものです。私が死ぬか生きるかという問題、私の心と体の平和の基準、私の心と体の解放的自由権をもつことが問題です。それが解放された立場に立ち、自主的な自由権を探し出してこそ、社会解放、国家解放、世界解放があるのです。そこには理論的な矛盾がありません。ところが、心と体が互いに毎日のように闘うのに、自由を見いだすことができるかというのです

天聖経10・2・2・2


所長視点)
いま時代は心と体が闘わない時代、心と体が一体となった時代がやってきました。自分の心は、今までの自分の人生の集大成です。その心が天の父母様が誇りたい心であり、その心をもって多くの人を救いたいと願われています。いつまでも自分の心をダメ出ししてないで、天の父母様が見つめる視点で自分の心を見つめ、扱っていきましょう

2020年5月14日木曜日

2020/5/14 神様を主張する

平和の起源、幸福の起源はどこに立てるのでしょうか。今、自分自身を中心として、「私は自分のために生まれたのではなく、相対のために生まれた」ということを発見すれば、宇宙のすべての難問題は解決されるでしょう。堕落の原因は、アダムとエバが自分の自覚と自己主張をしたところにあります。神様のために生き、神様を主張しなければならないのに、反対になったというのです。ここにおいて、皆さんに一つの公式を提示することができます。ために生きるところでのみ、真の理想と幸福と永遠の世界が存続するというのです

天聖経10・1・1・24


所長視点)
わたしたちが抱えているすべての問題の本質は「ために生きる」ことで解決するということはありがたいことです。 相手の利益に気を配ること、相手の弱点を守ってあげること、WINWINは忘れて、相手の喜びこそが自分の喜びであることに100%集中すること。問題があるということは、まだために生きれる余地が残っていることを教えてくれているのです。本当にありがたいですねー





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2020年5月13日水曜日

2020/5/13 幸福の原則

相手のために生きながら暮らしていこうという原則さえ掲げていけば、家庭では平和の家庭、自由の家庭、幸福な家庭、愛の家庭、社会でも平和な社会、自由な社会、幸福な社会が形成されるでしょう。国家と世界でも同じです。いかなるところでも、この原則を中心としていけば、幸福と自由と平和と愛が宿らざるを得ないという結論は当然なのです

天聖経10・1・1・22


所長視点)
相手のために生きるということは、相手の利益に気を配ること、相手の弱点を守ってあげること、WINWINは忘れて、相手の喜びこそが自分の喜びであることに徹すること。100%集中することです。その生き方ができれば、家庭も社会も国家も世界も幸せになる。それを証明するのが私たちの責任ですー

2020年5月12日火曜日

2020/5/12 私の価値

自分自身というものは卑しいものだと思っていましたが、私たち個々人によらなければ神様の愛を完成させることができないという事実、「私」自体でなければ、神様の理想を成就させることはできないという事実、神様の幸福と神様の平和を完成させるには、人間でなければならないという明確な事実を、今まで知りませんでした。不足な私ですが、神様の愛を完結させ、理想を完結させ、神様の幸福と平和を完結させることができる高次元的な価値の存在なのです

天聖経10・1・1・21

所長視点)
神様を幸せにできるのは「私」しかいない。神様と「私」は運命共同体であるという事実が統一原理の根本です。私が「ために生きる」存在になっていけばいくほど、神様と私は幸せになっていきます。「ために生きる」とは自分が受け取るもの以上に与えることができるか、です。これが愛の原則です





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2020年5月11日月曜日

2020/5/11 平和の起源

何を中心としてこの世界を収集するでするのでしょうか。今日、これについて、歴史家たちも主張し、現在の知性人たちも主張していますが、まず世界を指導できる人が必要です。それでは何を指導するのでしょうか。経済力を中心として指導できる能力のある人はいくらでもいます。政治的な立場を中心として指導できる能力のある人も、いくらでもいます。お金がなくて、それが出来ないのではなく、政治体制がなくて、それが出来ないのでもありません。神様と神様の理想に通じる愛の秩序がないのです。本然の愛の秩序が世界的基盤の上で成長する真理を模索できるならば、そこで初めて平和の起源ができ、人間の本心が安息し始めるのです

天聖経10・1・1・12


所長視点)
本然の愛の秩序とは「神様が真の父母であり、私はその子女である」「本心が第二の神様であり、真の愛の起源であり四大心情圏の起源」ということです。その愛の秩序を世界的基盤に拡大させた真理が「天の父母のもとの人類一家族世界実現(One Family Under God)」です。それを受入れている私たちが平和の主人として、自分の立場から発信していく。それが父母様の願いです

2020年5月10日日曜日

2020/5/10 新しいタイプの人間

今日まで人間は、輝かしい科学の発展を遂げることによって、創造的な生活面においては神様に似るようになったということができますが、愛の生活においては、全く神様に似ることができていません。ですから、悲しみと苦痛と不幸が継続しているのです。愛は調和なので、愛がないところに調和はあり得ず、調和がないところに平和や幸福もまたありえません。ここから数々の悲惨な光景が展開するようになるのです。
神様も人間も、神様に似た理想的な生活、理想的な世界を願っています。神様が願い、人間の本心が願う理想的な人間は、創造的であると同時に、神様を中心とした愛を実践する善の人間です。また、神様と人間が望む理想的な世界は、環境を改善する創造的活動がなされながら、個人と個人、国家と国家の間に愛が満ち溢れる、大調和の統一世界です。このような新しいタイプの人間が、新しい統一世界で生活するようになる時、長らく人間を困らせてきた一切の悲しみ、苦痛、争いは、初めて永遠に跡形もなく消えるようになるのです

天聖経10・1・1・11


所長視点)
理想の世界は調和の世界です。調和は創造的な人、善をじ実践する人によって創られます。創造的な人になるには「振り返りの質が高める」、善を実践する人は「心を主体にする」。この2つの訓練をすることがポイントです。2つの訓練をした新しいタイプは、家族、社会、国家、世界の問題を解決する平和を創り出す人「Peace Maker」になります。Peace Makerを育成する場所がMCのですー





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2020年5月9日土曜日

2020/5/9 真の平和

歴史始まって以来、人類は、平和を念願してきましたが、この地には、依然として戦争が存続しています。不幸にも、強大国や権力者たちは、時として「平和」という言葉を誤用してきました。彼らは、平和を語りながらも、実際には、人々を平和でないものによって苦しめてきました。特に共産主義者たちは、挑発しながらも「平和」という言葉を口癖のように使ってきました。
このように「平和」という言葉は、不義を実現する手段として何度も利用されてきたのです。真の平和は、知識や富、そして社会的地位や政治的権力のような外的な条件にかかっているのではありません。世の中では、世界的関心事を公平に判断する絶対的基準がないので、変化する世界の中で衝突する利害関係に縛られ、真の平和の維持が不可能なのです。真の平和は、真の愛の基盤の上にのみ立てられるのであり、愛の関係は、人類を一つに結ぶ神様を中心とした絶対価値を理解するときにこそ、体験することができるのです

天聖経 10・1・1・3


所長視点)
平和の基盤は神様と愛が土台です。「神様=天の父母様」「愛=真の愛=四大心情圏=家族愛」であると原理で語られています。いまこそ天を父母様を中心して、四大心情圏を実践している私たちが平和の文化を発信するときだと感じます






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2020年5月8日金曜日

2020/5/8 世の光

今、この世界における最も緊迫した課題とは何でしょうか。世界戦争は始まっても終わります。国家間の争いも終わりの日になれば終わるのですが、永違に続く戦争は、心と体の闘いです。心を中心として体を完全に征服する、そこに平和の基準があるのです。父母が永遠に一つになり、夫婦が永遠に一つになり、父子が永遠に一つになり、一族が永遠に一つになる平和の基地ができるのです。その平和の基地が個人を越えて、氏族を越え、民族を越え、人種を超えて、世界の果てまでできてこそ、世界平和が実現されるのです。ですから、人間改造革命が必要なのです

天聖経 10・1・1・1


所長視点)
イエス様は「世の光となれ、地の塩となれ」と語られました。「Peace Maker=平和を創り出す人」になってほしいのがご父母様の願いです。そのための条件が「心が主体、身体が対象」です。環境や出来事、まわりの人の動向に心が振り回されている状態から、どんな環境、出来事が起きたとしても、全て受けとめ、自分の本心を失わない人が「Peace Maker」です。政治家や知識人が世の中を動かしているのではありません。私たちが世の中を動かしています。いまの世の中の動きは全て、私たちの反映なのですー

2020年5月6日水曜日

2020/5/6 生命を捧げる…

アベルはカインのために死ぬことができ、生命をすべて捧げられる立場に立たなければなりません。そのようにしなければ、カインがアベルの前に絶対屈服しないのです。カインのために代わりに死ねる立場に立ってこそ、帰っていくことができるのです。ですから、イエス様の教えの中に「自分の命を救おうとする者は、それを失い、それを失うものは、保つのである」という御言があるのです。この御言は、アベルにも適用され、カインにも適用されます。アベルがカインを救おうとすれば、自分の命を惜しんではなりません。そのようにしなければ、カインを救うことができないのです。また、カインがアベルに従って行こうとすれば、死を覚悟しなければなりません。そのようにしなければ、従っていくことができないのです

天聖経9・3・6・17


所長視点)
生きる、死ぬを肉的生死として捉えると物騒な感じになりますが、「生命=時間」として置き換えるとどうでしょうか?アベルはカインのために時間をとってあげ優先する(従う)。神様の子女として心を砕いて寄り添ってあげる。それが神様の願いであるとすると「自分は真の父母を知っているから地獄にはいかない」「神様のための時間、礼拝、MCで勉強する、書写をしている…から大丈夫」とはなりません。アベルとカインは運命共同体です。神様の前にも一緒にいくことが復帰摂理の原則です

2020年5月4日月曜日

2020/5/5 新しい生活観

神様が願う観点に立脚して生きた人がどれほどいるでしょうか。ときには、個人的に感情を害し、食口に対して鬱憤を晴らしながら、言いたいことをすべていう人を見かけます。兄弟関係において先に出てきた人が、カインの立場にいることを知らなければなりません。アベルになるためには、カインを救っておかなければならないのです。カインを救っておかなければ、アベルになれません。復帰された長子の立場になれないのです。
そのようにするためには、世の中にいるカイン、すなわちサタン側にいるその兄を復帰しなければならないのです。復帰するのですが、無理やりたたいて復帰するのではなく、自然屈服させなければなりません。新しい世界観を見せてあげ、新しい国家観、新しい生活観、新しい未来観、新しい人格観、新しい血統、新しい心情を見せてあげなければなりません。何か違う姿を見せてあげなければならないというのです

天聖経9・3・6・16


所長視点)
真の父母様を受入れている立場はアベルの立場です。アベルは語るのではなく、自分の姿を見せてあげてカインを復帰することが願われます。そのときは、自分を見せようと意識すれば嫌われます。いつか分かってくれる…と思っていたら分かってくれません。天の父母様に似て成長していく姿であるとき、いつしかカインの心が変化していきます。

2020/5/4 召命された理由

神様は、アベルをどのような場で決定するのでしょうか。サタンの讒訴を受けない場で決定するのです。サタンの讒訴を受けない場とは、どのような所でしょうか。神様と一体になった場ですが、そこは喜びの場ではなく、最も悲しい場、最も困難な場です。言い換えれば、死のうとする場、最も悲惨な場において、神様と一体になれるのです

天聖経9・3・6・8


所長視点)
いま真の父母様を受入れている立場はアベルの立場です。とすれば今までの人生において、悲しみ、困難、悲惨な立場を通過してきたので神様はアベルの立場として導いてこれたということです。そんなに悲惨な立場を自分自身が通過してこなくても、社会をみて世界をみて心を痛めてきた、そのような神様の立場で物事をみてきた方も、それを条件として導いてきました。どの場面が導かれた条件となっているのか、今まで人生を振り返ってみるのもよいと思います。そこが天の父母様が愛する点になります

2020年5月3日日曜日

2020/5/3 伝道

「私」がアベルになるためには、カインを探さなければなりません。カインを探し出すまではアベルになりません。したがって、私が神様を身代わりする立場で、僕の僕の位置と僕の位置を経て、養子の位置を経て、息子の位置に上がっていかなければなりません。そうしてカイン・アベルを中心として屈服したという条件を立ててこそ、神様のみ前に立つことのできる息子の責任が終わるのであり、その位置でカインが協助する立場に立てば、父母の位置に進むようになるのです。
ですから、皆さんが伝道するのは、第一に、カインをつくるためであり、第二には、アベルの位置を決定するためです。しかたって、アベル的な立場で伝道する皆さんは、神様を身代わりする立場です。また皆さんは、神様を中心としてイエス様も身代わりし、僕の立場は復帰した時代に先祖ができなかったことを身代わりして、復帰していくのです

天聖経9・3・6・6

所長視点)
天の父母様の願いは「アベルの位置に立つこと」と「アベルの位置を勝利して父母の位置に立つこと」です。これが神氏族的メシヤの責任です。御言を分かち合いたい人がいる人は、すでに「アベルの位置」に立っています。そこから息子に位置に上がるというのは、「あなたは私の息子のようだ。そして私の息子よりもっと親孝行だ」といわれることです。そうして始めて御言を伝えることができます。御言を伝え、受入れ、み旨に貢献し、祝福を受けるようになれば、父母の位置に立てる=メシヤの位置にたつ。これが私たちの責任になります。




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2020年5月2日土曜日

2020/5/2 自叙伝と私

アベルは復帰路程において何よりも重要な使命を果たさなければなりません。アベルという存在がみ旨の前に設定されたのは、堕落のゆえです。もし堕落がなかったならば、アベルという存在がみ旨の前に設定される必要がありません。アベルが一人でいては、アベルを設定できません。カインがいなければアベルになれないのです。またアベルが真のアベルとして設定される位置に立つまでには、準備期間が必要です。言い換えれば、天の側に立つか、立てないかという期間が必要なのです。「統一原理」では、それを「信仰基台を立てる期間」と言いますが、その期間は祭物を捧げる期間です。祭物を捧げるのは、分かれた神様と人間を、再び心情的に紐帯を結ばせ、外的にも紐帯を結ばせるためなのです

天聖経9・3・6・3

所長視点)
神様の願いは「勝利したアベルになってほしい」この一点です。勝利したアベルの道をいかれたのが真の父母です。私たちは、自叙伝もそのような視点で読むことが必要だと感じます。そうでないとご父母様の素晴らしさは伝わってきても、真の父母様の歩みがすごいほど「自分にはできない」となります。そのまま歩めといわれているわけではなく、自分が神様の願いに立ったときに、行くべき方向、いろいろな悩みを抱えたときの道を拓くための歩みが自叙伝に顕されています。そして私たちが今までアベル立場ゆえ苦労してきた歩みとご父母様の歩みが共鳴して涙ができるのです




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2020年5月1日金曜日

2020/5/1 アベルカイン原則

カイン・アベルの論理は、偉大な論理です。神様の真の愛は、自分の子女を犠牲にしても、国の若者のために祭物にすることを願うのです。そのような神様の心があるので、そのような世界においてのみ統一が起こります。ために生きる愛においてのみ統一は起こるのです。ために生きない愛にはサタンが行き来し、破壊が起こります。
神様の願いがそうであり、万物の願いがそうであり、人間の願いがそうだとすれば、三代理想圏の願いをもって生きようという人がいるとき、滅びることがあるでしょうか。訪ねてくる天運はその人を保護し、天運だけでなく神様が保護し、万物がその人についていくのであり、死の場に行っても、死なないというのです。死にそうであり、なくなってしまいそうなのに、そこから新しい道に跳躍していける発展の道を歩むというのです。真の愛の道を行くにおいては、妨害し塞ぐ何ものもありません。サタンもここに屈服するのです

天聖経9・3・6・3

所長視点)
心を主体としていこうとすればカイン圏が現れます。神様の前に供え物を捧げれば、カイン圏が現れます。それが復帰摂理であり、アベル・カイン原則です。神様の前に正しく立てば、反発する勢力が現れます。カイン圏を受け入れ、それでも自分の位置を離れずにいけば神様が保護し、万物が引き寄せられてきます。そして次の次元へと跳躍します。それが発展の原理であり天国を創っていくということになります