2020年8月6日木曜日

2020/8/6 神様の愛で否定されよう

全ての存在は自身を肯定して存在します。否定しては存在できません。しかし、愛の前には自分を否定したがります。それは、その愛を肯定したいからです。その愛によって自分の価値が高まってゆくので、喜んで自分を否定したがるのです。これが本来の自己否定です。
私たちが生活圏で愛の主体の立場に立とうとするとき、自らの愛の主体者が明確ではなく、「誰による私なのか」が確定していなければ、すぐに「自分」が出てきてしまいます。主体者の愛で自分が否定されていないと、私自身を正しく扱えず、私が愛すべき対象の中に、神様が見せたいものを見ることができなくなります。自らの体験の中にある、天のみ意をつかむことができなくなるのです。
神様と私との関係を考えたとき、神様の側が「あなたは私の愛する子だ」とおっしゃっても、私の側で「あなたの愛で創られた私は、あなたのものです」と受けていない限り、「関係」が結べないのです。愛が双方向であれば「関係」と呼ぶことができますが、一方通行では与える側に基準があったとしても、実感が伴わず、愛の目的にも達することができないので、「関係」とは呼べなくなります。

所長視点)
自分が神様のみ言の前に100%心を開いて受け入れることで、私の中の本心が100%発動して「真の愛による自分」の感情が湧いてくるようになっています


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