2020年8月2日日曜日

2020/8/2 神様の救援摂理

本来、一つのみ旨として立てられた創造理想世界は、堕落することによって築くことができませんでした。しかし、神様は絶対的な権限をもった方なので、外的な世の中がすべて変化したとしても、御自身は絶対的に変わることはできません。悪魔にアダムとエバを奪われ、万物をすべて譲り渡しましたが、神様はやはり神様であり、絶対的なお方なので、本来は天使長である悪魔サタンまでも自然屈服させなければなりません。いてもいないのと同様の立場において、絶対的な神様の権威を立てなければなりません。
善なる神様は、悪なるサタンを先に打つことができません。善なる神様の愛の本質世界に、先に打てる原因、動機がありません。恩讐に対してまでも、ために生きなければなりません。万物のために投入に投入を重ね、ために生き、またために生きる神様の威信とその絶対的な権威は、いくら悪魔が生まれ、反対しても崩れません。そのような立場で、ために生き、またために生きながら来てみると、神様の救援摂理は、このように数千年の歴史を経てくるようになりました。そのようにしながら自然屈服させてきたのです(天聖経1・4・2・8)

所長視点)
真の愛をもった唯一無二、全知全能の神様でしたが、いないもとして扱われ、愛するすべてを奪われ恩讐から愛を要求されてきました。それでも神様の立場にたって愛を注がれてきた神様を誰も知らずに6000年の歴史が流れてきました。その神様を解放するのが私達の立場です

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