信仰や愛が強いのは良いことですが、「自分が強い」いうのは、この道においては障壁が多くなります。恵みを受けたとしても「自分に」受けたと喜んだり、受けた「もの」を感謝したりするのでなく、与えてくださった「お方」を思ったほうが良いのです。私を愛する愛の主体者を思わない生活には本心からの喜びがありません。一般的には、「自分が強い」というのは、たくましく頼もしいという意味を持つようですが、信仰の道においては、「神様を無視している」ということとほぼ同じになってしまいます。自分中心に私を扱っているからです。
所長視点)
世界の中心に自分を置き「私が」「自分が」と主張しているもの、「他人」の非を責めているもの、それらは自分中心の意識から生まれている心の声です。思い悩むほとんどが「こだわり」「執着」であったり「自分なりの主張」「妥協」です。それらに気がつかず「当たり前」の状態になっていることが、本心の喜びのない生活になります。本心の喜びは「細胞も髪の毛も喜びで踊りだす」感覚だそうです
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