2020年7月18日土曜日

2020/7/18 創造の原則

万物を創造するということは、自分の本質を取り出すことです。結局はエネルギーを投入したということであり、エネルギーを投入したということは自分の本質の投入を意味するのです。投入するのです。対象を創造する理念の世界は愛によってなされたので、そのみ旨を成し遂げるために神様は投入されたのです。
投入するのは、それが自分に結実するようにするためではなく、相対に結実させるためです。ですから、愛で造りました。それで、投入して神様が願うことを感じるのではなく、満足を感じることができたのです。それが原則になることによって、愛の伝統においては父母の愛の本質が残りました。自分を投入して自己意識を感じるのではなく、自己意識を忘れて、より相対的な目的が成し遂げられる価値を追求することに、自分のすべてが吸収されていくのです。結局は、神様も創造した人のために生きる立場に立つということです。それが創造の原則です (天聖経1・3・1・19)

所長視点)
ために生きるとは、相手が喜ぶことをしてあげる、ことから始まって相手の立場で物事を見つめ、考え、感じることが本質です。イメージ的には「自分の靴を脱ぎ、相手の靴を履く」「相手の目玉で物事を見つめる」ことです。完全に自分を離れなければ、相手の立場には立てません。創造というのは生命を吹き込むことです。自分の生命を相手の中に捧げる人生が父母の愛であり、神様の創造の世界です

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