2020年7月17日金曜日

2020/7/17 唯一無二の価値

神様が天地万物を創造されるとき、なぜ人間を造ったのでしょうか。相対がいない神様としては刺激を受けることができないので、相対を造って理想の愛と生命と希望の刺激を感じるために造りました。聖書で見るように、神様が人間を作るとき「おい!人よ、現れる」と言って簡単に造ったのではありません。神様は、あらゆる生命と愛と希望を懸けて人間を造りました。結局、神様と人間の関係においては、投入という言葉、無条件投入という言葉、全体投入という言葉を語ることができます。ここから、神様が真の愛を成すための方向性を探ることができます。
相対に100%投入したのです。投入する過程は、神様自体の消耗です。しかし、完全投入したという日には、問題が異なります。100%投入して完成する日には、百を投入したものは百のものが完成して、そこに相対的な愛がプラスされて神様に帰ってくるというのです。ここに相対的な愛の権限、相対的な特権の価値、自分が投入したすべての内容がプラスされて登場するようになるのです。そうすることで、神様は初めて刺激的な幸福を感じられるというのです (天聖経1・3・1・14)

御言解説)
私という存在は、神様がすべてを捧げた結果産まれた存在です。出産と同じです。十月十日育んで出産のときにはすべてを捧げて産み出すお母さんの姿は、神様の創造と一緒です。そのようにして産み出したした、かけがえのない存在に出産のときに捧げた心情以上の愛情を捧げ続けられてきた存在が私です。神様の視点でみるとき、「私」という存在はかけがえのない価値をもった存在なのです。その視点で自分自身を見つめることが重要です

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