2020年6月13日土曜日

2020/6/13 死ぬ理由

人間は神様に似ようとし、神様も自分と似るようにさせたいという観念をもっています。ですから、人は、再び神様と似ることのできる体をもって生まれなければなりません。そ
のように生まれる日を神様も待ち望み、人間も待ち望むのです。そのような人として生まれる日が、死ぬ日です。
このような立場で、人間は、死を歓迎しなければなりませんか、歓迎してはいけませんか。歓迎しなければなりません。死ぬのですが、何のために死ぬのかというときに、「神様の真の愛のために死ぬ」と言うべきです。ですから、肉身を脱ぐのは、無限の神様の愛の活動圏に自分が同参するためであり、神様の愛の世界のためです。神様の愛の中に生まれることが死ぬことなのですが、人間世界では「ああ、死ぬ」と大騒きします。制限された愛の圏内から無制限の愛の圏内に突入する喜びの瞬間が、第二の出生の瞬間であり、それが死の道を通過する瞬間なのです。皆さんは、死の恐怖から解放されなければ、神様と関係を結ぶことができません

天聖経7・1・4・18


所長視点)
死に対する観点をはっきり伝え幸せな人生へと導くのが宗教の役割です。日本の学校では教えられません。宗教法人として国が定め、保護する理由は、教義として、学校では教えられないことを教えてる環境をつくることが、日本の国益にプラスになると政府が判断しているからになります

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