2020年6月30日火曜日

2020/6/30 強く大胆であれ

今日、左翼と右翼がすべて滅びるようになりました。誰がそのようにしましたか。神様と真の父母がそのようにしました。真の父母と一つになった家庭は、世界のどこにいようと、今まで真の父母が歩んできた道を相続したので、そこで強く、大胆であれというのです。そうすれば、神様とこの宇宙が先生を保護するように、その家庭を保護するので、一国を消化することは問題ありません。皆さんが先生のように一線に立ちなさいというのです。戻ってはならないというのです。真の愛で直行するのです

天聖経2・4・4・10


所長視点)
真の父母と一つになる、というのはすべての事情、状況を自分の責任として丸ごと受け入れていくということです。そうすれば宇宙と神様が保護してくれる、一国を復帰する道が拓けてくるということです

2020年6月29日月曜日

2020/6/29 安息圏

カイン家庭はアベル家庭のためにあり、カイン氏族はアベル氏族のためにあり、カイン民族は、アベル民族のためにあり、カイン国家はアベル国家のためにあるという観念がはっきりと立つとき、初めて守護圏が生まれます。「難しいことがあれば、自分が責任を持とう」というようになるとき、そこに安息圏、すなわち天国が建設されるのです

天聖経2・4・4・9


所長視点)
私達の家系においてアベルの立場は私達になります。祝福を受けていれば私達の家庭がアベル家庭です。カインがアベルのために生きるには、まずアベルがカインのために生きるのが先です。アベルがカインに接したように、カインはアベルに接するようになっています

2020年6月28日日曜日

2020/6/28 選民

天運の時代に突入する時において立てられる「真の父母」と真の子女と真の夫婦は、どのような人たちでしょうか。そのような人たちは、人間の情に通じ、神様の心情に通じた人たちであり、神様の心情が宿る宇宙的な苦難を体恤した人たちであり、神様の真の愛を中心として「神様は私の父である」と言える、その何かを感じた人たちです。6000年の歴史を経てきながら、人間は、人間の縦的な問題を解決できず、横的な問題も解決できませんでした。人間は、このような問題を解決してくれる宗教を求めてきました。私たちは終末時代においてぶつかる峠と、すべての障壁を越えていかなければなりません

天聖経2・4・4・2


所長視点)
人間の情に通じる=困った人がいたら平気でいられない
神様の心情に通じる=人類が幸せでない姿をみて悲しんでいる神様がわかる
宇宙的苦難を体恤した人=先祖の苦難をなんとかした
「神様は私の父である」と感じた人=はっきりとは分からないがそのようだ

これが私達であり、歴史的にみたら「選民」になります

2020年6月27日土曜日

2020/6/27 真の子女の道

六千年の復帰摂理歴史は、父母を復帰するための摂理歴史です。父母を復帰し、子女を復帰する摂理歴史です。そのような復帰摂理路程においては、父母と子女が同じ責任を担っています。父母が個人的な十字架、家庭的な十字架、氏族、民族、国家、世界、天宙的な七段階の十字架路程を歩んでいるので、子女である皆さんも、そのような七段階の十字架路程を歩まなけばなりません。期間の長さの違いがあるとはいえ、先に行くかあとにいくかの違いがあるとはいえ、蕩減条件の内容は同じなのです

天聖経2・4・4・1


所長視点)
いままでの歴史は真の父母を求めてきた歴史であり、真の父母を復帰した土台で子女を復帰するのが最終目的です。父母の活躍をサポートするのも重要ですが、私が真の子女になるほうがもっと重要です。真の子女になるには真の父母が拓いてくださった道を道標通りに進んでいく。その道標が本心です。本心が元気でないと苦労しても頑張っても違うところへいってしまう可能性があります

2020年6月26日金曜日

2020/6/26 選民

キリスト教が世界的な版図を形成するまで、どれほど犠牲の代価を払ったか分かりません。殉教の祭壇で絶えず犠牲になることによって、その悲惨な叫び声が地球上に響き、その泣き声の聞こえなかった所がないほどになりました。その血の祭壇が連続し、今日、目前にまで到達した歴史的な恨が絡まっているのです。これを受け継いで解怨すべき、厳粛な歴史的な課題を抱いてる私たちは、神様を解放し、キリスト教を解放しなければなりません。キリスト教を立てて以来、今までキリスト教がどれほど悲惨な歴史を経てきましたか。これを解放しなければなりません。天宙を代表した天地の主体の国として、主体の宗教として、人類を収拾するばかりでなく、後代の千秋万代に勝利した王子権である長子権を賦与されなければなりません

天聖経2・2・1・16


所長視点)
選民が歩んできた道は「祭物」に道です。神様ゆえに犠牲になり生命を落とす方々が世界中にいました。その方々は、「誰かがいかなければならないなら、私が行きます」と潔くその運命を受入れていった方々です。その方々を義人といいます。私達も先祖を代表して召命された義人です。その自覚と誇りこそが神様を慰める材料になります

2020年6月24日水曜日

2020/6/24 本心の願い

私たちが抱くべき希望とは何でしょうか。天に代わってこの地に来られる真の父母様に侍ることを心から希望しなければなりません。侍るには、勝利の基盤が形成されたのち、万民が仰ぎ見、万民が恭敬するようになった立場で侍ることを願ってはいけないのです。悲しい歴史を経ている真の父母に侍ることを願わなければなりません。悲しい歴史を経ている真の父母に侍ることができなかったことを、先祖たちは恨と思っています。真の父母に侍ることを、全人類は心から希望するのです。ですから、栄光の場で侍ろうとするより、悲惨な場で侍る真の考子、真の孝女にならなければなりません

天聖経2・2・1・5


所長視点)
私達の本心には孝情の種があります。親が大変なときに「もう少し親の生活が楽になり、豊かになったら親のところにいって生活しよう」と思うより「親が大変なら、親を助けてあげたい。お金が大変ならお金を工面してあげ、願いがあるなら叶えてあげたい」「親の笑顔がみたい。親が喜ぶ姿がみたい」と思って生活がするのが私達の本心の願いです

2020年6月23日火曜日

2020/6/22 神様の代表者

神様が原因者であられるので、原因であるその方を中心とした代表者として、この地上の私たちの家に住む人が祖父母であり、その祖父母の伝統を受けて現れ、血肉が通じ、生命と愛と血縁が直結している人が父母であり、また「私」と共に直接血統を一緒に分かち合ったのが兄弟です。真の愛、真の生命、真の血肉を通じて連結されている一族が家族なのです。その愛は、東西南北のどこに行っても、前後左右のどこに行っても変わらない、一つも核心的な統一された愛であることは間違いありません

天聖経5・1・1・7


所長視点)
神様を中心としている家というのは、神様の代表者として「祖父母」を大切にしている家であり「先祖」を大切にしている家です。祖父母が「この家にいて幸せだ」と感じている家が神様を中心としている家族になります

2020年6月21日日曜日

2020/6/21 家族の関係性の基準

神様の創造原理によれば、天国は、まずこの地上世界で完成されなければなりません。本来人間は肉身を持って地上で天国生活をしたにちに、自然に肉身を脱げば霊界の天国に場所を移して永生するように創造されました。そうだとすれば、私たちが創建すべき地上天国とは、どのような姿でなければなりませんか。本然の家庭と天国とは、その類型が同じです。基本的に家庭には、本然の父母がいて、本然の夫婦がいて、本然の子女がいて、本然の兄妹姉妹がいます。その家庭が真の愛を中心として一つになれば、和合と統一は自動的にやってきます。その基盤の上に、真の愛と真の生命と真の血統が連結され、理想の目的も可能になるのです

天聖経7・1・4・17


所長視点)
いま生きているうちに親子、兄弟、夫婦の関係性のなかで心情が触れ合う感動と感謝の生活を開拓することを通じて地上天国が拓かれ、天上天国が開拓されます。その基準は自分の中にあるのではなく、相手、地域、社会の状況がいまの自分の家庭の関係性の結果になります

2020年6月20日土曜日

2020/6/20 欲望の終着点

欲望の終着点はどこでしょうか。神様の愛を所有するところです。神様を所有したといっても、その中にもっと貴い愛を所有できなければ、神様は自分の神様ではありません。ですから、神様の愛を所有しなければなりません。その方のものが「私」のものであり、「私」のものがその方のものになるとき、初めて内外が一つになります。そのような国が、上下の等級のない理想の本国になるのです。そのような場に横たわるようになれば、天下にある存在の中で、良く見えないものがなく、天下にある存在の中で、自分のために存在しないものはないと感じるのです。そのようなものが神様の愛なので、今日人間が行くべき天上世界、すなわち天国は、愛で満ち溢れたところです

天聖経7・1・4・10


所長視点)
本心は第二の神様です。だとすれば本心をもっている私は神様を所有し、神様の真の愛を所有しています。私の中にある「真の愛」と一つになることが個性完成であり、家和することになり、万事の問題が解決する道になります

2020年6月19日金曜日

2020/6/20 美しい心の状態

天国は、心情を通じなければ行くことはできません。天国は、全体を主管できる本然の国であり、本性の国です。その国は、何かの事情をもって所有することはできません。深くしみ込む心情関係をもってこそ、所有できる国です。ですから、事情が通じるより、究極的に心情が通じなければなりません。事情を越えて心情を謳歌できる基盤を築くところに、地に対して摂理する天の目的があります

天聖経7・1・4・5


所長視点)
人間関係で目指すところは事情を理解しあうこと。そして心情を謳歌できる関係を築くことです。そのために必要なのは「心が主体となっている状態=美しい心の状態」です。祈りも座禅もお経も修行もすべて、心の状態を本来の状態にするためのものです。それなくして頭で考えても解決できません

2020年6月18日木曜日

2020/6/18 与えること

神様を中心として喜びの生活にしなければなりません。天国化させなければなりません。天国は与えながら生きるところです。神様も与えなければなりません。父母は子女に与えなければなりません。良いものを与えたあとも、もっと良いものがあれば、それをまた与えたいと思うのが父母の心です。赤ん坊にどんなに晴れ着を着せ、どんなに良いものを食べさせたとしても、それで満足するのではなく「もっと良いことをしてあげられないか」と思うのです。与えてからもっと良いものを与えたいと思うのが、父母の心であると同時に、神様の心です

天聖経7・1・4・7


所長視点)
与えることはGive and TakeではなくGive and Give でありGive and Forget です。与えたら返ってくるだろう、実績がでるだろう はGive and Take の世界であり打算的です。本当の信頼関係は結べません。与えていく生き方を選択していくなかで「生かされている自分」に気づく。実績がでる。これが天国生活です

2020年6月17日水曜日

2020/6/17 心情が通じる体験

天国は、心情を通じなければ行くことはできません。天国は、全体を主管できる本然の国であり、本性の国です。その国は、何かの事情をもって所有することはできません。深くしみ込む心情関係をもってこそ、所有できる国です。ですから、事情が通じるより、究極的に心情が通じなければなりません。事情を越えて心情を謳歌できる基盤を築くところに、地に対して摂理する天の目的があります

天聖経7・1・4・5


所長視点)
いまの肉身があるうちに心情が通じなければ、霊界にいっても通じません。事情がちがう人、考えが違う人、宗教、文化が違う人と違いを受入れながら、心の世界が触れ合う体験を重ねていくことが肉身生活の目的であり、天の父母様が人間関係、出来事、環境を与える目的でもあります。

2020年6月16日火曜日

2020/6/16 天国へいく準備

天国は、膨大なところです。この宇宙よりもっと大きく、もっと広い世界です。それは、形容できないほど膨大な世界です。そして、その世界では、愛する人がその世界のどこにいたとしても「私」が「会いたい」と思えば、直ちに現れます。どのような心を持って会いたいと思うのか、あちら側ではすぐに分かるのです。来るやいなや、挨拶します。「このように思ってくれてありがとう」と相手が思ったことを言ってくれるのです。
ですから、心の世界を説明する必要がありません。説明する必要がなく、すべて感じるのです。そこに行って会えば、どのようなことを話すのか分かります。分かってから聞くのです。どれほど素晴らしい世界ですか

天聖経7・1・4・1


所長視点)
天国での生活をするために、いま生きているときに天国での生活の準備が必要です。天国が膨大なところであれば、私の心の国境線を取り払い、こだわりに気づき、心を膨大な本然の姿にする必要があります。自分の心を解放して真の愛があふれる自分にする生活がいまの生活です。霊界にいけばすべて解決するわけではありません。今は分かりあえなくても霊界にいけば通じ合うので、分かりあえる…というわけではないのです

2020年6月15日月曜日

2020/6/15 最高の位置

人間には、生きる目的があります。ところが、生きていく人間の目的がすべて異なっています。「心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして主なるあなたの神を愛せよ」というのは、何のためですか。神様の息子になるためです。ですから、神様を愛するためなら、命までも差し出しなさいというのです。そのようにしなければならない私たちは、最低の位置で死ぬことはできません。最高の位置で死ななければなりません。天国を中心として死ななければならないのです。天上天下に一つしかない天国で死ぬのです。死ぬにも方法があり、位置があります。韓国的なもののために死ぬことはできないのです。最高の位置、天上天下を通過した神様の心情の国を中心とする最高の位置で死ななければなりません。天国の真ん中で死に、天下が旗を揚げて歓迎する位置で死ななければなりません

天聖経7・1・4・19


所長視点)
最高の位置というのは、死ぬような状況であっても本心が主体であり、本心と感情を大切にできる状況です。そのような状況が神様の心情の国で生活です。この感覚を生きているうちに育むことが人生の目的です

2020年6月14日日曜日

2020/6/14 万事なる

「家和して万事成る」というとき、金塊を中心として喜んだからといって「家和して万事成る」が成就示されますか。それを分けずに互いに見ているときには「家和して万事成る」になりますが、分け合おうとするときには争いが起こるのです。しかし、愛をもって分けようとするときには、分ければ分けるほど「万事成る」が起こるのです。お金をもって分けるときには、分ければ分けるほど分裂が起きますが、愛を持って分ければ分けるほど統一が起き、和合が起き、平和が宿るのです。愛を持って「家和して万事成る」です。父が母を愛し、母が父を愛し、父母が子女を愛し、子女が父母を愛し、愛の交流で和合することによって「万事成る」になるのです

天聖経5・3・1・13


所長視点)
すべての問題は家が和するときに解決する。家が和するには愛が中心のコミュニケーションが重要です。愛を中心としていれば和合、統一になります。授受作用ですから、すべてを受け入れることですべてを愛することができます。

2020年6月13日土曜日

2020/6/13 死ぬ理由

人間は神様に似ようとし、神様も自分と似るようにさせたいという観念をもっています。ですから、人は、再び神様と似ることのできる体をもって生まれなければなりません。そ
のように生まれる日を神様も待ち望み、人間も待ち望むのです。そのような人として生まれる日が、死ぬ日です。
このような立場で、人間は、死を歓迎しなければなりませんか、歓迎してはいけませんか。歓迎しなければなりません。死ぬのですが、何のために死ぬのかというときに、「神様の真の愛のために死ぬ」と言うべきです。ですから、肉身を脱ぐのは、無限の神様の愛の活動圏に自分が同参するためであり、神様の愛の世界のためです。神様の愛の中に生まれることが死ぬことなのですが、人間世界では「ああ、死ぬ」と大騒きします。制限された愛の圏内から無制限の愛の圏内に突入する喜びの瞬間が、第二の出生の瞬間であり、それが死の道を通過する瞬間なのです。皆さんは、死の恐怖から解放されなければ、神様と関係を結ぶことができません

天聖経7・1・4・18


所長視点)
死に対する観点をはっきり伝え幸せな人生へと導くのが宗教の役割です。日本の学校では教えられません。宗教法人として国が定め、保護する理由は、教義として、学校では教えられないことを教えてる環境をつくることが、日本の国益にプラスになると政府が判断しているからになります

2020年6月12日金曜日

2020/6/12 歓喜の時間

皆さんは、父母から生まれました。根本的な立場で、どこから生まれたのかというと「私」は神様から父と母のおなかを通して生まれました。父と母が皆さんをつくったのではありません。皆さんが生まれたのは「真の父母」を求めていくためです。宇宙の父母を通して、体の父母を通して、真の父母を訪ねていかなければなりません。ですから、死は真の父母に会いに行く歓喜の時間です。
そこには、真の父母の真の愛があります。それを天上天国と言います。そこの構成要素は愛 です。父母の真の愛が満ちあふれたところです。その愛は、奉仕と犠牲の原則を通した愛です。これは一般的な法度に通じます。そこに合格できる人になるためには、万宇宙を「私」が愛さなければなりません。この地上生活は、人類を愛するための試験場であり、訓練場です。これが宇宙の根本です。人間が生きてる時にこのような体験とこのような愛をもって生きて合格していければ、間違いなく神様のみ前に帰るのです

天聖経7・1・4・17


所長視点)
「死」を「歓喜の時間」であるという人生を送るには、どのような生き方をすればいいのか?愛の次元が高まっていけばそのような「死」に対する捉え方ができるようになるのでしょう。希望の時代です

2020年6月11日木曜日

2020/6/11 神様の愛の懐

あ神様が人間の父母であるならば、人間をどのように造ったのでしょうか。愛の神様が人間を造るとき、神様の愛に同参させた位置から出発したというのです。神様の心から出発し、神様の愛の懐で育ち、神様の愛の懐で成熟して家庭を形成し、この地上で世界的な愛と連結させることができる成熟者となり、神様の愛の懐に帰らなければならないのが人生の道です。

天聖経7・1・4・14


所長視点)

人間の本性は堕落した血統であっても、環境が大変な状況であっても、神様から出発している事実は変わりありません。神様の愛を持っている、という強い自覚が必要です

2020年6月10日水曜日

2020/6/10 人生観を定める

私たちは、知っていようと知っていまいと、あるところに向かって進んでいます。「私」が動く時間にも進んでおり、休んでいる時間にも進んでいます。これは否定できない事実です。一生を経たのちに「私」はどのようなところに行くのでしょうか。これが、人間が解決すべき重要な問題です。宗教も哲学も歴史も、この問題を解決するために動員されています。この問題を解決できなくても、私たちは逝くべき運命に置かれています。私たちが生きたのちに死ぬ日、この体は土に埋められることによって終わります。体が埋められるその日は、心も、生命も、心情も、理念も、あるいは願いまでも共に埋められてしまうのでしょうか。この問題に対して、その内容と解決点と、はっきりした目的観を立てておかない人は、不幸な人にならざるを得ません

天聖経7・1・3・14


所長視点)
誰もが避けられない「死」という問題に対して向かい合ったときに、人生観が定まります。そこが曖昧だと生き方も曖昧になります。一番重要な問題に向き合うこと、これが「死」に向き合うことです。原理で一番重要なテーマです

2020年6月9日火曜日

2020/6/9 霊界の愛の波長

死は第二の出生なので、悲惨ではありません。アダムとエバが堕落していなければ、神様と共鳴圏で暮らしていたはずです。心と体が共鳴するというのです。それで、私たちが地上で愛を中心として生活するようになれば、霊界の愛と同じ波長基準になっているので、地上で暮らしながら霊的世界を感知することができます。
地上で父母から生まれて父母と共に生きながら、父母から学んで地上生活を完成させるとのと同じように、天上世界の愛の母体である神様を中心として生まれ変わり店、天の父母と共に永遠の愛の世界で、内的五官を完成した神様の息子、娘として、神様の友として、神様の体として生きていくのです。ですから、死んでなくなってしまうのではありません。死は第二の出生であり、有限な世界から無限の世界に行くときに境界線を突破するためのものであり、峠を越えるためのものなのです

天聖経7・1・3・8


所長視点)
私たちが求める愛の基準は霊界に行っても通じる基準です。霊界の愛と同じ波長基準をなることが地上生活の目的であるともいえます。霊界の愛の波長は「私の本心」にあります。自分の本心の波長を開拓し発信することが「ために生きる生活」です

2020年6月8日月曜日

2020/6/8 統班撃破

統班撃破は、銃剣で脅迫し、恐喝しなさいということではありません。愛のみ言と愛の実践を通して夜も昼も活動するならば、老人たちがタバコを吸い、酒を飲みながらも、あるいは悪いことをしながらも「うちの息子、娘にもあの人たちを見習わせなければ」と統一教会を褒めるのです。そうすれば、酒好きの悪魔がそこにくっついていても、逃げていくというのです。けんかしていた者たちも、統一教会に入教してからはけんかしないのを見て「うちの息子、娘も統一教会の教会員のようにならなければいけない」と思えば、サタンは逃げていくのです。
すべての面において、原理原則を代表した一つの立て札となり、家庭に先祖の標的を立てなければなりません。先祖の中の先祖が真の父母なのです

天聖経9・1・4・23


所長視点)
韓国で「統」は町、「班」は村のようなくくりです。ようするに地域のまわりながら愛の実践をしていけば、サタンが逃げていくということです。そのときにみ言を語るのではなく、地域の人が困っていることを聞いてあげ、助けてあげる。自分ができる精一杯を真摯に実践していく。これが愛の実践です。

2020年6月7日日曜日

2020/6/7 訓読

先生のみ言は、先生が語ったのではありません。天が先生を通して語られたみ言です。そのみ言は、皆さんがいつどこで聞いても、心が動き始めます。それが違うのです。先生一人ではありません。縦横を合わせたその場で語ろうとしたので、心も体も共鳴体になるのです。振動が起こります。体が振動しても、心が一つになれるので心も振動し、心が感動すれば体に一大革命的変化が起こります。そのような力があるのです。それは先生の言葉ではありません。

天聖経9・1・4・1


所長視点)
家庭教会の中心は訓読です。御父母様のみ言を訓読し、本心を振動、共鳴させていくなかで、真の愛の波動が私の実体を通して家族に地域に広がっていきます

2020年6月5日金曜日

2020/6/5 天の父母様の夢

家庭教会とは何でしょうか。家庭教会は統一教会が迫害の歴史において、先生を中心としてすべての歴史的蕩減基準、すなわち個人蕩減世界的基準、家庭蕩減世界的基準、民族蕩減世界的基準、国家蕩減世界的基準、天宙蕩減源世界的基準の蕩減路程でチャンピオンの継承権を勝ち取り、全体に勝利したサインを受けて決定してきたものです。家庭教会においてのみ、すべての蕩減条件を払って定着できるのです

天聖経9・1・3・19


所長視点)
アダム家庭に安着することが天の父母様の夢でした。それをご父母様が生涯をかけて蕩減をされて、立てられたのが家庭教会になります。それを誇ることが孝子孝女の立場になります

2020年6月4日木曜日

2020/6/4 肥料

先生が悲惨な歴史をすべて経て、人間に対して最高に簡単で強力に提示することができ、サタンと神様のみ前に提示できる一つの条件として立てたのが家庭教会です。家庭教会は、皆さんが倒れれば起こし、難しいことがあればすべて慰労してあげられる場であり、皆さんが責任分担の過程を何事もなく通過できる自然な環境だというのです。また、その中には迫害するものがあるかもしれませんが、環境全体が迫害する時代を越えて歓迎する時代の境界線からこれを出発したというのです
そうして、皆さんがここで勝利することによって、先生と神様が6000年間願ってきたすべての理想の基地が確立されるというのです。皆さんは今、先生に接ぎ木するのです。そうすれば自動的に成長します。それでは、成長するために必要な肥料は、どこで手に入れるべきでしょうか。反対してきた家庭教会のすべての地域で、大きな木として育てられる肥料を得るのです。皆さんには肥料が必要です。そのような種類の肥料をどこで手に入れるかというと、迫害から手に入れるのです。それが肥料になるのです

天聖経9・1・3・16


所長視点)
家庭のなかの問題、親戚の問題、地域にでていったときに出会う問題はすべて肥料です。それを肥料として、大きな木になっていきます。そこにはすべてのことが慰労されていく天国になっていきます

2020年6月3日水曜日

2020/6/3 孝子孝女の道

今、先生が皆さんを取り戻すために働いてきたことを理解し、皆さんも家庭教会を訪ねていき、先生が皆さんにしたのと同じようにしなければなりません。それでこそ、天が孝子という名で印を押し、天の国に連れていくのです。ところが皆さんは、先生にばかりついて回ろうとします。「家庭教師は嫌だ。先生の行く所にだけ行く」と言うのですが、それではいけません
人類歴史の最後の路程において、真の父母様の言うことを聞いて基盤を備えれば、神様が「お前は孝子だった」という印を押し、天の国の孝子として天国に送ろうというのです。これがどれほど驚くべき愛でしょうか。その基盤が家庭教会です。皆さんも、天の国に孝子、孝女として行きたいでしょう?家庭教会を通さなければ、孝子、孝女の印をもらう道がありません。天国は孝子が入るところです。息子であっても、ならずものでは入れません。孝子の名をもって行かなければならないので、孝子の名の印を押してもらうためのものが家庭教会です

天聖経9・1・3・14


所長視点)
ご父母様の願いはご父母様に「ついていく」のではなく「自立する」ことです。たとえ規模が小さくてもご父母様の路程を歩むところに、内外の相続がなされ孝子孝女になっていきます。これまではその訓練でした。家庭教会が本番です

2020年6月2日火曜日

2020/6/2 真の家庭づくりと自叙伝

家庭教会は、第一に、子女たちが失敗したことを代わりに蕩減してきた父母様の世界的蕩減路程を相続するためのものです。第二に、イエス様が失ってしまった氏族的メシヤを蕩減することによって、氏族的メシヤ圏から国家、世界まで行くためのものです。この二つを蕩減しなければ行くことができないのです。これを解決するためには、不可避的に家庭教会を経なければなりません。そのようにしなければ、天国に行けません

天聖経9・1・3・7


所長視点)
自叙伝で伝えられるご父母様の歩みは私たちの歩む道を拓いてくださったものです。家庭教会=真の家庭づくり です。夫婦の関係、親子の関係、兄弟の関係、近所、親戚との関係で出てくる問題はご父母様の世界的な蕩減復帰路程を象徴するものです。そのように受入れていく中でご父母様と私との因縁が結ばれていきます

2020年6月1日月曜日

2020/6/1 問題解決の道

これからは迫害がありません。サタンの迫害さえなくなれば、これがすべて簡単になるのです。先生を中心として、個人的にサタンがどれほど妨害しましたか。発展できないようにすべ迫害しました。迫害したのですが、すべて払いのけ、発展してきたのです。家庭的に、どれほど迫害を受けましたか。その次に、氏族的に反対されましたが、これを耐え忍んできたのです。
このように闘って勝利した父母様のすべての偉業を相続するという自負心を持たなければなりません。そのようにして世界を一つの世界に追い立てていかなければならないのが皆さんの責任です。先生は実体蕩減をしてきましたが、皆さんは条件蕩減をするのです。その条件的な運動が家庭教会運動です

天聖経9・1・3・3


所長視点)
私の家庭の問題解決する道が家庭教会にあります。地域の方々、親戚の方々の問題を解決する道が家庭教会にあります。そのためにはまず、地域の人や親戚が何に困っているのか?それを知らなければ話になりません。御言を伝える前にそのコミュニケーションが必要です