2020年9月19日土曜日

2020/9/19 信仰生活の意義②

 み言を信じることが復帰の条件)
それでは、「神様を信じる」とはどういうことでしょうか。本来、アダムとエバは神様の子女として創造されました。彼らが成長し、完成して、愛の実体となったとき、神様の創造理想が成就するようになっていました。しかし、神様の創造理想は実現しませんでした。アダムとエバが神様から与えられた「取って食べてはならない」とのみ言を守ることができずに堕落してしまったからです。アダムとエバは「取って食べると、きっと死ぬ」(創2・17)という神様のみ言よりも、「決して死ぬことはない」(創3・4)という天使長ルーシェルの言葉のほうを信じてしまったわけです。その結果、人間はみ言を不信した立場に立ってしまいました。こうして堕落が起こりました。人間は堕落して、本来あるべき位置よりももっと下に堕ちてしまったのです。元の位置に戻るためには、堕落と反対の経路をたどらなければなりません。これが復帰の道です。「み言」を不信して堕落したので、み言を信じる「信仰」という、「不信」の反対の道を通過しなければならないのです。み言というのは、生きとし生ける全てのものの命です。

~ 天一国時代の信仰生活より ~

所長視点)
勝利された真の父母のみ言だからこそ、一日の出発、節目の時間、行き詰まったとき、努力が実ったときなど、み言を読み返していくことで、神様との関係性が築かれていきます。ついでにみ言に立ち返るのではなく、み言を中心とした生活にチャレンジしてみましょう

2020年9月17日木曜日

2020/9/17 信仰生活の意義①

 失った神様との関係を復帰するために)
本来、「信仰」というものは、私たち人間には必要ありませんでした。皆さんの中で、自分の親を信仰している人はいますか。「親は自分の親で、自分はその子供だ」というのは事実ですから、それを信じるというのは、信仰でも何でもありません。当たり前のことです。「天の父母様(神様)がいらっしゃる。神様は私たちの親である」ということは、本然の人間にとって当たり前のことだったのです。ところが、堕落することで神様との関係が切れ、人間は神様が分からなくなってしまい、神様とサタンの中間位置に立ってしまいました。ですから、「神様を信じる」「神様を信仰する」という道を通してしか、神様との関係を修復することができなくなったわけです。そのために、「信仰」が必要になりました。

~ 天一国時代の信仰生活講座 ~

所長視点)
「人間の父母になりたかった」これが神様の願いです。ご父母様の生涯かけて復帰されてきました。そうしていま天一国時代をむかえて「家庭に神様を父母として迎える生活」が始まっています。その中心が家庭祭壇です

2020年9月8日火曜日

2020/9/8 真の愛の共鳴圏

人間の貴重な価値を満点にするのは、真の愛と一体となるときに可能です。心身一体とは、良心(本心)と肉身が共鳴圏に立っていることを意味します。音叉の振動数が同じとき、一つをたたけば、その反対の音叉が響きます。それと同じように、真の愛によって良心をたたけば、肉身が響きます。真の愛で肉身をたたけば、良心(本心)が共鳴圏をつくるようになるのです。そこには教育が必要ありません。その真ん中に入っていけば、教えるべきすべてのことが分かるようになっているのです。 (天聖経4・1・2・35)

所長視点)
真の愛の共鳴圏の時代が来ました。いま宇宙全体に真の愛の波動が満ちています。あとは私の本心を真の愛の波動に共鳴させれば、すべての問題が解決します。自分の価値が思う存分発揮されます